心と宗教板 2006/10/05(木)

236 : お翔 [] 投稿日:2006/10/05(木) 20:30:52 ID: l8eiE0jZ [4/4回]
最初は体を、腕や足から始めて全身を、そして感覚、思考、感情、意志、認識を
観察して行くんじゃ。このどれかにお主は自我を投射しているじゃろう。
それが観察できた時、自我は消える。
更に自我が消えた後、見ている認識が残っている。それすらも観察した時、もはや言葉で
表す事の出来ぬ、大悟徹底の境地に至るのじゃ。
さあ、ばんこよ。そして皆も、心を止め、恐れずに観察するんじゃ。
悟りはいずれ向こうからやってくる。クリの本もoshoの本も役立つじゃろう。
しかし、一番大切なのはやる気じゃ。諦めてはいけぬ、必ずできると思うのじゃ。
わしの教えはこれで終わりじゃ。さらばじゃ、ばんこよ。
縁があれば又合おうぞ。さらばじゃ。

心と宗教板 2006/10/05(木)

236 : お翔 [] 投稿日:2006/10/05(木) 20:30:52 ID: l8eiE0jZ [4/4回]
最初は体を、腕や足から始めて全身を、そして感覚、思考、感情、意志、認識を
観察して行くんじゃ。このどれかにお主は自我を投射しているじゃろう。
それが観察できた時、自我は消える。
更に自我が消えた後、見ている認識が残っている。それすらも観察した時、もはや言葉で
表す事の出来ぬ、大悟徹底の境地に至るのじゃ。
さあ、ばんこよ。そして皆も、心を止め、恐れずに観察するんじゃ。
悟りはいずれ向こうからやってくる。クリの本もoshoの本も役立つじゃろう。
しかし、一番大切なのはやる気じゃ。諦めてはいけぬ、必ずできると思うのじゃ。
わしの教えはこれで終わりじゃ。さらばじゃ、ばんこよ。
縁があれば又合おうぞ。さらばじゃ。

心と宗教板 2006/10/05(木)

235 : お翔 [] 投稿日:2006/10/05(木) 20:09:28 ID: l8eiE0jZ [3/4回]
そのように観察を続けていけば、やがて目の前の世界が、急に輝くような感じになる
ことがある。今まで知っていたものが、突然見知らぬ新しいものになったかのような、
新鮮な感覚が蘇るのじゃ。それは無心な観察眼、赤子の眼が芽生えたのじゃ。
ここまでくれば、漸くクリの言葉が判るようになるじゃろう。
クリの教えは元々大学生の勉強を、何も知らぬ幼稚園生に教えていたようなものじゃ。
クリ自身は子どもの頃からヨーガを習い、観察にも瞑想にも熟練しておった。
だから他人もそうじゃと思っていたのじゃろう。
普通の者は止と観の行をして漸く、彼の言葉が判るようになるのじゃ。
さあ、クリのいうように、何も知らぬ赤子の眼で観察するのじゃ。
こんどは外の対象から自分自身を対象にするのじゃ。

心と宗教板 2006/10/05(木)

235 : お翔 [] 投稿日:2006/10/05(木) 20:09:28 ID: l8eiE0jZ [3/4回]
そのように観察を続けていけば、やがて目の前の世界が、急に輝くような感じになる
ことがある。今まで知っていたものが、突然見知らぬ新しいものになったかのような、
新鮮な感覚が蘇るのじゃ。それは無心な観察眼、赤子の眼が芽生えたのじゃ。
ここまでくれば、漸くクリの言葉が判るようになるじゃろう。
クリの教えは元々大学生の勉強を、何も知らぬ幼稚園生に教えていたようなものじゃ。
クリ自身は子どもの頃からヨーガを習い、観察にも瞑想にも熟練しておった。
だから他人もそうじゃと思っていたのじゃろう。
普通の者は止と観の行をして漸く、彼の言葉が判るようになるのじゃ。
さあ、クリのいうように、何も知らぬ赤子の眼で観察するのじゃ。
こんどは外の対象から自分自身を対象にするのじゃ。

心と宗教板 2006/10/05(木)

234 : お翔 [] 投稿日:2006/10/05(木) 19:51:09 ID: l8eiE0jZ [2/4回]
出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。
そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたお主はどうすればいいか判るじゃろう。
数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。止めようとか、駄目だとか思わず
ただやり過ごして、観察に戻る。そうすれば雑念は自然に消えていく。
このような時に止の行は役立つのじゃ。やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

心と宗教板 2006/10/05(木)

234 : お翔 [] 投稿日:2006/10/05(木) 19:51:09 ID: l8eiE0jZ [2/4回]
出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。
そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたお主はどうすればいいか判るじゃろう。
数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。止めようとか、駄目だとか思わず
ただやり過ごして、観察に戻る。そうすれば雑念は自然に消えていく。
このような時に止の行は役立つのじゃ。やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

心と宗教板 2006/10/05(木)

210 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/02(月) 21:55:42 ID: WJRA8Zax [1/2回]>>233
こんな話をを聞いたことがある。

ある男が原因不明の症状に悩まされていた。
朝起きると仕事に行く前に動悸が激しくなり、頭ががんがん痛む。
会社では息苦しくて仕事も手につかない。

医者に診てもらったのだが原因が分からない。
「おかしいですね。どこにも悪いところはありません。原因不明です。治療方法はありません」

次に男は宗教家のところに行った。
「数息観をやりなさい。気持ちが落ち着くだろう。直感で原因も分かるはずだ」

そこで男は毎日数息観をした。
しかし夜寝る前はいいのだが、会社に行く前になると全く同じ症状がでる。
効果は全くなかった。

男は最後にクリシュナムルティのもとに相談しにいった。
「不治の病に冒されているのだと思います。
医者は全く役に立ちませんし、宗教家は直感で分かるはずだと言うのですが、
私の直感は下等なもののようで、いくら数息観をやっても症状の原理が分かりません。
あなたが最後の助けです。今も動悸が激しく頭ががんがんして息ぐるしいんです。
どうか私の苦しみを救ってください!」

クリシュナムルティは黙って男の話を聞いていたが、
男をよく観察した上でこうアドバイスした。
「苦しみの原理を直感で探ろうとしないで、あるがままにご自分をよくごらんになることです。
着ているワイシャツですがが、サイズが一回り小さいようですよ!」

症状の原因は小さめのワイシャツが首を絞めていることだったのだ。
211 : 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/02(月) 21:58:28 ID: WJRA8Zax [2/2回]>>233
自分という現象をよく観察することが禅でいう接心である。
212 : 栗砂無丁 [] 投稿日:2006/10/03(火) 10:30:40 ID: Pe+ocV7v [1/4回]>>233
下品なジョークに彼を使うのは、その思想と言葉を汚すに等しい行為だ。
そのような事を続ければ、誰も彼の言葉を真実と受け取らなくなるだろう。
かつて彼がペナレスでヨーガをしていた時、大きな猿がベランダに入ってきた。
猿は彼に手を伸ばした。彼はその手を握った。
その手は柔らかく、ざらざらしていた。
彼は「今日はヨーガをしている明日来てくれないか?」と言った。
猿は出ていった。
次の日 猿がやってきて部屋に入ってきた。
彼は言葉の通じない猿とさえ共感した。それはまさに本当に起こったことだ。
彼は下品なジョークを使わず、本当に起こった事だけを語った。
彼を下品なジョークのネタにするのは、人とさえ共感できず、彼の言葉を汚す、
クズのやる事だ。
213 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/03(火) 12:35:52 ID: LF+1/ApG [1/4回]>>233
こんな話を聞いたことがある。

一人の男が死んで『真珠の門』のところに行きました。
聖ペテロが彼に言います。

「君はかなり善い人生を送ってきた。人を騙しもしなかったし、
大した罪も犯していない。しかし天国に入る前に、私たちは
みんなここで退屈していると君に告げておかなくてはなるまい。
神はけっして笑わないし、天使はいつも祈ってばかりいてひどくふさぎ込んでいる。
だから天国に行く前によく考えたほうがよい。多分、下に降りていって、
そこがどんなところか見るのも面白かろう。それから戻ってきて、
どちらへ行きたいか聞かせてくれ。しかし、君次第だ。
そこのベルを鳴らしなさい。エレベーターが来るから乗って降りていってごらん」
214 : 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/03(火) 12:36:52 ID: LF+1/ApG [2/4回]>>233
そこでその男はベルを押し、エレベーターで下がってゆきました。
扉が開くと、彼はこの上なく美しい女たちに囲まれ手厚いもてなしを受けました。
「何とまあ」彼は考えた。「これが生きるということだ」そして女たちに言います。
「ちょっと上がっていって、聖ペテロに会ってくるからね」
彼はベルを押してエレベーターに乗り上がっていきます。そして聖ペテロに言いました。
「私に選択権をくれたのは本当にありがたいです。私は下に降りたいです」
聖ペテロは言います。「そう言うと思ったよ」

男はまたベルを押して下っていきます。扉が開くと、ところが今度は
二人の醜怪な悪魔が男をつかみ、押し付けたり蹴ったり、殴ったりしはじめました。
男はうめきます。「ちょっと待ってくれ、ついさっきは私を王様みたいに扱ったではないか。
そして今はこのざまとは何故だ?」

「ああ、さっきのお前は観光客だったのさ!」
215 : 栗砂無丁 [] 投稿日:2006/10/03(火) 14:43:03 ID: Pe+ocV7v [2/4回]>>233
ジョークが書きたいならジョーク板に行け。
お前は彼がやってもいない事をやったと書き、言ってもいない言葉を言ったと
書いた。自分のエゴを満足させる為に、彼の言動を捏造したのだ。
それに対する謝罪の言葉はないのか。
お前に少しでも人間らしい心が残っているなら、俺にではなく、彼の魂に謝罪しろ。
216 : 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/03(火) 15:08:04 ID: LF+1/ApG [3/4回]>>233
ジョークをジョークと知り、誰の目にもジョークであるにもかかわらず、
ジョークは真実に対する捏造だ、と言って怒る人を生まれて初めて見た。

自分の主張(エゴ)が否定されたから怒っているんだろうか?
それともジョークが真実の捏造?だから怒っているんだろうか?

怒りながら人に共感を説く人も始めてだなぁ。。

ちなみに
>>210はOSHOが語ったジョークをアレンジしたもの。
>>213-214は意外に思うかもしれないがクリシュナムルティその人が語ったジョーク。
クリシュナムルティは実はジョークが好きで、この手のジョークをよく言っていた。
ほとんどそのままキッチン日記から引用した。
217 : 栗砂無丁 [] 投稿日:2006/10/03(火) 15:22:39 ID: Pe+ocV7v [3/4回]>>233
心が汚いだけでなく、頭も悪いらしい。
お前は彼の言動を捏造した、その行為が卑劣だと言っている。
その行為が許されるなら、彼がナチを誉めていたとか、侵略を認めていた
と書いてもいい事になるだろうが。それ位分からないのかクズが。
お前がそこまで頭が悪いのなら、もう彼の名はだすな。お前にはその資格がない。
お前がこんな馬鹿な事を書くと、本気にする奴が出るのだ。
俺の事はどんなに馬鹿にしてもいい、だが本当に彼の為を思うなら、お前は彼に
ついて書くな。そして謝罪しろ。
218 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/03(火) 15:49:59 ID: b5conPwi [1/1回]>>233
>>213 >>214

意味が分からん
219 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/03(火) 16:07:21 ID: LF+1/ApG [4/4回]>>233
>>218
キッチン日記によると、これでクリシュナムルティと友人たちは爆笑したらしいですよ。
多分ですけど、クリシュナムルティはよく、快楽と苦痛は同じもの、と言っていたので
快楽を求めて結局苦痛を受ける男の姿に、世間の人を重ね合わせてジョークにしたのでしょうね。
キリスト教会に批判的でこの手のジョークをよく言っていたということです。
220 : 栗砂無丁 [] 投稿日:2006/10/03(火) 19:21:35 ID: Pe+ocV7v [4/4回]>>233
>>219自分の間違いを指摘されると無視か。お前はどこまで汚いんだ。
捏造野朗が。
彼の名を自分の腐ったエゴを肥大させる為に使うな。
お前には彼の言葉も思想も何一つ分かっていない。
ジョークが書きたかったらジョーク板に行けと言っているだろうが。
221 : ばんこ [] 投稿日:2006/10/03(火) 22:36:58 ID: qRmGZ3dC [1/1回]>>233
人の言う事、まあそれなりに真剣に聞いていたと思うのだが、
その度に、確信めいてくるのは、結局深い自然の中でやすんでる
だけなんだということ。山の解釈多々あれど、山は決して逃げやしないし、星はなによりも
繊細だ。偉いひとはいるもんだという感慨は受けるものの、そんなのは
結局比較の偉さかというのはあるな。精神世界とkは一線を画すというけれども・・・



電化製品もいいんだけども、たまに星を見ることをすすめるよ。














222 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/04(水) 00:10:30 ID: +BxHsD0s [1/1回]>>233
Kの思想、そんなものがあるんだろうか。
もしもあれば、その思想を正しく理解したり
間違って伝えたりできるだろうけど。
真理は私のものでもあなたのものでもない、と聞いた気がする。
あれは空耳だったんだろうかと耳を澄ますと


今日は鈴虫の鳴き声がするなぁ。

223 : 栗砂無丁 [] 投稿日:2006/10/04(水) 00:33:04 ID: zFuqxUQz [1/1回]>>233
>>222
この世には随分と心の汚い人間が居るものだ。お前はあてこすりやジョークを書く
だけで、自分の間違いを決して認めようとはしない。まるでオウムの奴らと同じ
態度じゃないか。お前の父親や母親は、お前にそんな事しか教えなかったのか。
お前の両親もお前に似て、さぞや汚い心の持ち主なんだろうよ。
お前の母親は、間違いを犯したら誤りなさいと言わなかったのか。
お前の父親は、尊敬する人をジョークのネタにしなさいと教えたのか。
彼について語る前に、人間として正しい事をすべきだろうが。
彼に謝罪しろ。
224 : 名無しさん@3周年 [] 投稿日:2006/10/04(水) 03:03:48 ID: SCEBGPC5 [1/1回]>>233
へぇー、最近クリシュナムルティの本頻繁にでてると思ったらスレも立つようになったんだ
225 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/04(水) 08:59:15 ID: jOlgxe7o [1/1回]>>233
>>219
そうやって笑うのも快楽だし、宗教批判者としての記号を強固にすることになってしまいますね
それこそ黙って見つめてりゃいいじゃないかと思ってしまう。

本を読むと、言ってることは究極だし人間の内面を深く洞察したのは確かなんだけど
思考行動として実践できてるかというと本人も含めて無理だったんじゃないかという気がします。
226 : 名無しさん@3周年 [] 投稿日:2006/10/04(水) 14:11:10 ID: t6PdYUrq [1/1回]>>233
オカシイから笑うただそれだけってことじゃね?
227 : 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/04(水) 18:07:57 ID: +VSb0bMo [1/1回]>>233
黙ってみつめた上での笑いだから宗教批判者としての記号も糞もないのよ。
本当のユーモアというのはリアルに現実を見つめた所からしか出てこない。
身も蓋もなく突き抜けて本当に心の底から笑えるというのはそういうこと。
228 : ばんこ [] 投稿日:2006/10/04(水) 20:21:45 ID: rZTiKSuJ [1/1回]>>233
そもそも、体と心は一体だ。
禅を問う前に、医者にいく手もある。
医者に行くほどでもなけりゃ、生活を全面的に工夫しなければならない。
健康な人が勝つに決まっている。無論勝ち負けだけじゃないが・・・
社会や、自然や、その他もろもろ問うてもしょうがないこともある。
病の始まりだ。胸がフルフルwするんだ。不整脈の気があるといわれていた。
心音がやたら気になる。いてもたってもいられなくなってくる。
医者はあまり好きではないが医者に明日行くことにした。
皆さんのクリシュナムルティ読書会が社会にかたむくか、個人に傾くか
それはわからない。教えてやろうとすると教えられるこれひとつの智慧だよ。w
 まあ真剣にやってくれ!笑
229 : 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/04(水) 20:26:19 ID: kv25540N [1/1回]>>233
スレはだいぶ前からあるんだよ
230 名無しさん@3周年 [] 投稿日:2006/10/05(木) 02:05:48 ID: b+zmIHia [1/1回]>>233
欧米ではかなり知名度高いんだけどね。日本でもこれからブームがきそうな予感
231 : あぼーん [あぼーん] 投稿日:あぼーん>>233
あぼーん
232 : ばんこ [] 投稿日:2006/10/05(木) 13:26:34 ID: hshuYP5Y [1/1回]>>233
クリシュナムルティのことを救世主としてみる動きがあるようだが、
それはどうなのだろう?確かに生きている人ではありがたくないと
いうのはあるかもしれない。しかし、現に深くただただ息づいているひとが
あるということを感じることがありがたいということもあるだろう。
しかし、そういったことを超えて、一本の木を正確にみるということは
彼のいうとおり、人生の中で最もむづかしいことの一つなんである。
木のように深くただ息づくということはむづかしいんである。
 私の結論としては、人工呼吸器だけはつけて欲しくないし、つけられたく
ないんである。
233 : お翔 [] 投稿日:2006/10/05(木) 19:38:04 ID: l8eiE0jZ [1/4回]
ああ ばんこよ。勉強にせいだしているようじゃな。感心なことじゃ。
それだけクリの本を読んでいるなら、もう次の段階に行ってもいいじゃろう。
これからわしの最後の教えに入る。といっても最初から二つしかなかったんじゃ。
その二つとは止と観 心を止めること、そして観察する事の二つじゃ。
普通の人間はやはり心を止めなければ、観察は難しい。
やさしい事から一つ一つ学んで行かなければ、観察は身につかないものじゃ。
さあ、ばんこよ。観察の最初の一歩を聞くのじゃ。
先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。
例えば花なら花という言葉を使わず「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような
物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。それはふちが薄く、真中にいくほ
ど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
などと観察していくのじゃ。

心と宗教板 2006/10/05(木)

210 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/02(月) 21:55:42 ID: WJRA8Zax [1/2回]>>233
こんな話をを聞いたことがある。

ある男が原因不明の症状に悩まされていた。
朝起きると仕事に行く前に動悸が激しくなり、頭ががんがん痛む。
会社では息苦しくて仕事も手につかない。

医者に診てもらったのだが原因が分からない。
「おかしいですね。どこにも悪いところはありません。原因不明です。治療方法はありません」

次に男は宗教家のところに行った。
「数息観をやりなさい。気持ちが落ち着くだろう。直感で原因も分かるはずだ」

そこで男は毎日数息観をした。
しかし夜寝る前はいいのだが、会社に行く前になると全く同じ症状がでる。
効果は全くなかった。

男は最後にクリシュナムルティのもとに相談しにいった。
「不治の病に冒されているのだと思います。
医者は全く役に立ちませんし、宗教家は直感で分かるはずだと言うのですが、
私の直感は下等なもののようで、いくら数息観をやっても症状の原理が分かりません。
あなたが最後の助けです。今も動悸が激しく頭ががんがんして息ぐるしいんです。
どうか私の苦しみを救ってください!」

クリシュナムルティは黙って男の話を聞いていたが、
男をよく観察した上でこうアドバイスした。
「苦しみの原理を直感で探ろうとしないで、あるがままにご自分をよくごらんになることです。
着ているワイシャツですがが、サイズが一回り小さいようですよ!」

症状の原因は小さめのワイシャツが首を絞めていることだったのだ。
211 : 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/02(月) 21:58:28 ID: WJRA8Zax [2/2回]>>233
自分という現象をよく観察することが禅でいう接心である。
212 : 栗砂無丁 [] 投稿日:2006/10/03(火) 10:30:40 ID: Pe+ocV7v [1/4回]>>233
下品なジョークに彼を使うのは、その思想と言葉を汚すに等しい行為だ。
そのような事を続ければ、誰も彼の言葉を真実と受け取らなくなるだろう。
かつて彼がペナレスでヨーガをしていた時、大きな猿がベランダに入ってきた。
猿は彼に手を伸ばした。彼はその手を握った。
その手は柔らかく、ざらざらしていた。
彼は「今日はヨーガをしている明日来てくれないか?」と言った。
猿は出ていった。
次の日 猿がやってきて部屋に入ってきた。
彼は言葉の通じない猿とさえ共感した。それはまさに本当に起こったことだ。
彼は下品なジョークを使わず、本当に起こった事だけを語った。
彼を下品なジョークのネタにするのは、人とさえ共感できず、彼の言葉を汚す、
クズのやる事だ。
213 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/03(火) 12:35:52 ID: LF+1/ApG [1/4回]>>233
こんな話を聞いたことがある。

一人の男が死んで『真珠の門』のところに行きました。
聖ペテロが彼に言います。

「君はかなり善い人生を送ってきた。人を騙しもしなかったし、
大した罪も犯していない。しかし天国に入る前に、私たちは
みんなここで退屈していると君に告げておかなくてはなるまい。
神はけっして笑わないし、天使はいつも祈ってばかりいてひどくふさぎ込んでいる。
だから天国に行く前によく考えたほうがよい。多分、下に降りていって、
そこがどんなところか見るのも面白かろう。それから戻ってきて、
どちらへ行きたいか聞かせてくれ。しかし、君次第だ。
そこのベルを鳴らしなさい。エレベーターが来るから乗って降りていってごらん」
214 : 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/03(火) 12:36:52 ID: LF+1/ApG [2/4回]>>233
そこでその男はベルを押し、エレベーターで下がってゆきました。
扉が開くと、彼はこの上なく美しい女たちに囲まれ手厚いもてなしを受けました。
「何とまあ」彼は考えた。「これが生きるということだ」そして女たちに言います。
「ちょっと上がっていって、聖ペテロに会ってくるからね」
彼はベルを押してエレベーターに乗り上がっていきます。そして聖ペテロに言いました。
「私に選択権をくれたのは本当にありがたいです。私は下に降りたいです」
聖ペテロは言います。「そう言うと思ったよ」

男はまたベルを押して下っていきます。扉が開くと、ところが今度は
二人の醜怪な悪魔が男をつかみ、押し付けたり蹴ったり、殴ったりしはじめました。
男はうめきます。「ちょっと待ってくれ、ついさっきは私を王様みたいに扱ったではないか。
そして今はこのざまとは何故だ?」

「ああ、さっきのお前は観光客だったのさ!」
215 : 栗砂無丁 [] 投稿日:2006/10/03(火) 14:43:03 ID: Pe+ocV7v [2/4回]>>233
ジョークが書きたいならジョーク板に行け。
お前は彼がやってもいない事をやったと書き、言ってもいない言葉を言ったと
書いた。自分のエゴを満足させる為に、彼の言動を捏造したのだ。
それに対する謝罪の言葉はないのか。
お前に少しでも人間らしい心が残っているなら、俺にではなく、彼の魂に謝罪しろ。
216 : 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/03(火) 15:08:04 ID: LF+1/ApG [3/4回]>>233
ジョークをジョークと知り、誰の目にもジョークであるにもかかわらず、
ジョークは真実に対する捏造だ、と言って怒る人を生まれて初めて見た。

自分の主張(エゴ)が否定されたから怒っているんだろうか?
それともジョークが真実の捏造?だから怒っているんだろうか?

怒りながら人に共感を説く人も始めてだなぁ。。

ちなみに
>>210はOSHOが語ったジョークをアレンジしたもの。
>>213-214は意外に思うかもしれないがクリシュナムルティその人が語ったジョーク。
クリシュナムルティは実はジョークが好きで、この手のジョークをよく言っていた。
ほとんどそのままキッチン日記から引用した。
217 : 栗砂無丁 [] 投稿日:2006/10/03(火) 15:22:39 ID: Pe+ocV7v [3/4回]>>233
心が汚いだけでなく、頭も悪いらしい。
お前は彼の言動を捏造した、その行為が卑劣だと言っている。
その行為が許されるなら、彼がナチを誉めていたとか、侵略を認めていた
と書いてもいい事になるだろうが。それ位分からないのかクズが。
お前がそこまで頭が悪いのなら、もう彼の名はだすな。お前にはその資格がない。
お前がこんな馬鹿な事を書くと、本気にする奴が出るのだ。
俺の事はどんなに馬鹿にしてもいい、だが本当に彼の為を思うなら、お前は彼に
ついて書くな。そして謝罪しろ。
218 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/03(火) 15:49:59 ID: b5conPwi [1/1回]>>233
>>213 >>214

意味が分からん
219 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/03(火) 16:07:21 ID: LF+1/ApG [4/4回]>>233
>>218
キッチン日記によると、これでクリシュナムルティと友人たちは爆笑したらしいですよ。
多分ですけど、クリシュナムルティはよく、快楽と苦痛は同じもの、と言っていたので
快楽を求めて結局苦痛を受ける男の姿に、世間の人を重ね合わせてジョークにしたのでしょうね。
キリスト教会に批判的でこの手のジョークをよく言っていたということです。
220 : 栗砂無丁 [] 投稿日:2006/10/03(火) 19:21:35 ID: Pe+ocV7v [4/4回]>>233
>>219自分の間違いを指摘されると無視か。お前はどこまで汚いんだ。
捏造野朗が。
彼の名を自分の腐ったエゴを肥大させる為に使うな。
お前には彼の言葉も思想も何一つ分かっていない。
ジョークが書きたかったらジョーク板に行けと言っているだろうが。
221 : ばんこ [] 投稿日:2006/10/03(火) 22:36:58 ID: qRmGZ3dC [1/1回]>>233
人の言う事、まあそれなりに真剣に聞いていたと思うのだが、
その度に、確信めいてくるのは、結局深い自然の中でやすんでる
だけなんだということ。山の解釈多々あれど、山は決して逃げやしないし、星はなによりも
繊細だ。偉いひとはいるもんだという感慨は受けるものの、そんなのは
結局比較の偉さかというのはあるな。精神世界とkは一線を画すというけれども・・・



電化製品もいいんだけども、たまに星を見ることをすすめるよ。














222 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/04(水) 00:10:30 ID: +BxHsD0s [1/1回]>>233
Kの思想、そんなものがあるんだろうか。
もしもあれば、その思想を正しく理解したり
間違って伝えたりできるだろうけど。
真理は私のものでもあなたのものでもない、と聞いた気がする。
あれは空耳だったんだろうかと耳を澄ますと


今日は鈴虫の鳴き声がするなぁ。

223 : 栗砂無丁 [] 投稿日:2006/10/04(水) 00:33:04 ID: zFuqxUQz [1/1回]>>233
>>222
この世には随分と心の汚い人間が居るものだ。お前はあてこすりやジョークを書く
だけで、自分の間違いを決して認めようとはしない。まるでオウムの奴らと同じ
態度じゃないか。お前の父親や母親は、お前にそんな事しか教えなかったのか。
お前の両親もお前に似て、さぞや汚い心の持ち主なんだろうよ。
お前の母親は、間違いを犯したら誤りなさいと言わなかったのか。
お前の父親は、尊敬する人をジョークのネタにしなさいと教えたのか。
彼について語る前に、人間として正しい事をすべきだろうが。
彼に謝罪しろ。
224 : 名無しさん@3周年 [] 投稿日:2006/10/04(水) 03:03:48 ID: SCEBGPC5 [1/1回]>>233
へぇー、最近クリシュナムルティの本頻繁にでてると思ったらスレも立つようになったんだ
225 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/04(水) 08:59:15 ID: jOlgxe7o [1/1回]>>233
>>219
そうやって笑うのも快楽だし、宗教批判者としての記号を強固にすることになってしまいますね
それこそ黙って見つめてりゃいいじゃないかと思ってしまう。

本を読むと、言ってることは究極だし人間の内面を深く洞察したのは確かなんだけど
思考行動として実践できてるかというと本人も含めて無理だったんじゃないかという気がします。
226 : 名無しさん@3周年 [] 投稿日:2006/10/04(水) 14:11:10 ID: t6PdYUrq [1/1回]>>233
オカシイから笑うただそれだけってことじゃね?
227 : 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/04(水) 18:07:57 ID: +VSb0bMo [1/1回]>>233
黙ってみつめた上での笑いだから宗教批判者としての記号も糞もないのよ。
本当のユーモアというのはリアルに現実を見つめた所からしか出てこない。
身も蓋もなく突き抜けて本当に心の底から笑えるというのはそういうこと。
228 : ばんこ [] 投稿日:2006/10/04(水) 20:21:45 ID: rZTiKSuJ [1/1回]>>233
そもそも、体と心は一体だ。
禅を問う前に、医者にいく手もある。
医者に行くほどでもなけりゃ、生活を全面的に工夫しなければならない。
健康な人が勝つに決まっている。無論勝ち負けだけじゃないが・・・
社会や、自然や、その他もろもろ問うてもしょうがないこともある。
病の始まりだ。胸がフルフルwするんだ。不整脈の気があるといわれていた。
心音がやたら気になる。いてもたってもいられなくなってくる。
医者はあまり好きではないが医者に明日行くことにした。
皆さんのクリシュナムルティ読書会が社会にかたむくか、個人に傾くか
それはわからない。教えてやろうとすると教えられるこれひとつの智慧だよ。w
 まあ真剣にやってくれ!笑
229 : 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日:2006/10/04(水) 20:26:19 ID: kv25540N [1/1回]>>233
スレはだいぶ前からあるんだよ
230 名無しさん@3周年 [] 投稿日:2006/10/05(木) 02:05:48 ID: b+zmIHia [1/1回]>>233
欧米ではかなり知名度高いんだけどね。日本でもこれからブームがきそうな予感
231 : あぼーん [あぼーん] 投稿日:あぼーん>>233
あぼーん
232 : ばんこ [] 投稿日:2006/10/05(木) 13:26:34 ID: hshuYP5Y [1/1回]>>233
クリシュナムルティのことを救世主としてみる動きがあるようだが、
それはどうなのだろう?確かに生きている人ではありがたくないと
いうのはあるかもしれない。しかし、現に深くただただ息づいているひとが
あるということを感じることがありがたいということもあるだろう。
しかし、そういったことを超えて、一本の木を正確にみるということは
彼のいうとおり、人生の中で最もむづかしいことの一つなんである。
木のように深くただ息づくということはむづかしいんである。
 私の結論としては、人工呼吸器だけはつけて欲しくないし、つけられたく
ないんである。
233 : お翔 [] 投稿日:2006/10/05(木) 19:38:04 ID: l8eiE0jZ [1/4回]
ああ ばんこよ。勉強にせいだしているようじゃな。感心なことじゃ。
それだけクリの本を読んでいるなら、もう次の段階に行ってもいいじゃろう。
これからわしの最後の教えに入る。といっても最初から二つしかなかったんじゃ。
その二つとは止と観 心を止めること、そして観察する事の二つじゃ。
普通の人間はやはり心を止めなければ、観察は難しい。
やさしい事から一つ一つ学んで行かなければ、観察は身につかないものじゃ。
さあ、ばんこよ。観察の最初の一歩を聞くのじゃ。
先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。
例えば花なら花という言葉を使わず「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような
物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。それはふちが薄く、真中にいくほ
ど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
などと観察していくのじゃ。