心と宗教板 2007/09/30(日)

205 :神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 21:27:57 ID:qmPvd6nt
>>200
和尚さんタイプミス直しとくね。

誤 愛護施 → 正 愛語施

207 :神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 22:02:44 ID:jca1gLnH
人がどれだけ馬鹿であったとしても、自分が馬鹿でないならそれで
いいじゃないか。何故人の有り様にこだわるのかな? どうして人の
ことを馬鹿だと言う必要があるのかな? そうしていないと自分の
方が馬鹿と言われてしまうとでも思っているのかな?

209 :神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 22:08:02 ID:3kLy0Rms
>>196

>>185 無我の我は非我の我じゃ。わしは何を言っとるのかな?わっはっはっは。

と言っているよ。
どんどん増えるよ。

218 :神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 11:53:38 ID:Uam2sQb6
鬼和尚さん、急に思いついた質問ですが。
人間にとって芸術とはなんでしょうか? 芸術に対する感性に優れているとは、
精神的にどういう意味を持つのでしょう? 気の向いたときにお願いします。

219 :鬼和尚 :2007/09/30(日) 21:50:47 ID:XvcHehm5
>>205 ありがうよ。いい子じゃ。?円

>>207 放って置くのじゃ。
 昔、あるバラモンがお釈迦さまを罵ったことがあったのじゃ。
 その時、お釈迦さまは全く反論せず、バラモンが喋り終わった後にこう尋ねた。
 「もし、宴会に来た客に主人が沢山のご馳走を出したとして、そのご馳走を客が食べなかったら、それは誰のものになるのか?」
 バラモンは答えた。
 「そのご馳走は客が食べなかったのだから、もとの主人のものになる」
 お釈迦さまは言った。
 「私もあなたの言葉を受け取らない。するとそれは誰のものになるのか?」
 そのバラモンは、気付いてお釈迦さまに帰依したという。

 誰が悪い言葉を言おうと、受け取らなければ、その言葉は出した者に返るのじゃ。 
 そのような言葉を口にする者は、己を馬鹿にして居るのだと、笑ってやればいいのじゃ。

>>209 わしの我は無我の我であるから、非我の我なのじゃ。何を言っておるのかな。

>>218 芸術は人にとって、癒しと娯楽を与える薬のようなものじゃ。
 それが無ければ、多くの者が心を病んでいたかもしれぬ。
 そのような芸術を生み出す感性を持っている者は、良い薬を生み出す薬屋のようなものじゃ。

 しかし、それらも又、他の人間の能力と同じように、慈悲の心によって人を癒そうとしてするのなら善事になるが、邪な心で為すのなら、悪事となるじゃろう。
 
   

心と宗教板 2007/09/29(土)

198 :神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 21:04:19 ID:A7USblZY
>>188
キャラサロンだろ、どう見ても。いまさらなにいってんだろね。

199 :神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 21:07:08 ID:A7USblZY
>>196
自分の意思でなくどうしようもない深い闇に堕ちた人がいる、そういうことでしょう。

201 :神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 21:10:52 ID:3IoDQ86D
身心脱落と言う事は、長い修行の間中に肩その他の所に力が入っていて、
見性して、自分の心の中で対立していた、本当の自分に会うことによって、全ての
矛盾が解けて、大安心することにより。肩から(要らない)力が抜けたと理解しても
よいのでしようか?

204 :鬼和尚 :2007/09/29(土) 21:26:48 ID:ab0tcbyT
>>198 そうか?

>>199 そうじゃ、そのような者にも親鸞は眼を向けていたのじゃ。やさしい小坊主だったのじゃ。

>>201 もっとじゃ、肩の力だけでなく、今まで己と思っていた全てが消え去る。己を認識していたものも消え去る。
 そこには言葉も無く、言葉で表せるものも無く、全てが平等で、無相であり、無為の境地なのじゃ。
 言葉でいい表せるような程度のものではないのじゃ。

 今日はこれくらいかのう。

心と宗教板 2007/09/29(土)

197 :神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 21:01:41 ID:3IoDQ86D
禅の修業の心得として「世間の禅悪にはかかわるな」と有りますが、鬼和尚さんと
どうして言うことが違うのですか?

202 :鬼和尚 :2007/09/29(土) 21:19:49 ID:ab0tcbyT
>>197 わしは禅ではないからじゃ。
 禅の人間もそのように言われながら、多くが俗世間にかかわっておる。
 一休やら快川やら、何人もがかかわってしまっておる。
 何故かな?

 それは慈悲の心からなのじゃ。
 己の修行も大事だが、目の前に苦しんでいる人が居るなら、やはり救いたいと思うのが、真の人ではないかな?
 修行をしてただ智恵や知識をつけただけで、慈悲の心が無かったら、人の世に生きる資格はあるまい。
 知識を多く身に付けて、人の心を無くした学者達が人殺しの道具を作り、この世の悲惨を増しておる。
 我々の行く真の道は、そのようなものであってはならないのじゃ。

 慈悲の故に心得を破る者を、わしは破戒僧とは言わない。
 真の僧と呼ぶ。

心と宗教板 2007/09/29(土)

188 :神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 04:09:17 ID:aMhzat5x
あのさ〜。なんで普通の言葉で書けないの?ココはキャラサロンなの?
それとも自分を出すのが怖いの?
胡散臭くてしょうがないよ、まったくw

189 :神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 09:00:31 ID:JsKQJbSe
>>187
横レスだけど、親鸞の悟りと鬼和尚の悟りはちがうんでないか?
このスレ読んでるとそうおもうのが当然だと思うが。
聞いてもわからないんじゃね。

それとも、わかるんだろうか。そうだったら失礼した。

190 :神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 10:02:34 ID:Qf3LyNmS
親鸞は大乗的に、衆生の救いを念頭に置いていた。念仏を唱えろと説く人達とあまり変わらない。
「心配するな。〜のように生きればこの世の苦しみもなんてことはない。心の持ちかた次第だ。」
と言ってるように思う。当時は末世思想が蔓延っていたから、これはこれで立派な姿勢だと思う。

逆に悟りを求めるのは小乗的な性質なので、まず己を極限まで追求する必要がある。
悟りときいて拒否反応を示す人の大部分は、無意識に、自分の追求に熱心になれない何かがある
のかもと想像する。煽ったり他人を馬鹿にするのが癖の人は、言わずもがな。

191 :神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 10:43:19 ID:8hASWyQ1
ヽ(゜▽、゜)ノ虚実を楽しむのじゃ

192 :神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 12:18:54 ID:AGP9o+e0
http://www2.wind.ne.jp/Akagi-kohgen-HP/DR_ritalin.htm

193 :神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 16:12:35 ID:NaarVRdF
>188、
同意だけど、自分の言葉って意外にひねり出すの面倒だよ。

鬼和尚さんや名の通った常連さんでない名無しの『あっはっは』は、なんだかね。

ただ、胡散臭く感じる方も感じさせる方も禅に懸命、いたしかたなし。


195 :神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 20:50:14 ID:qmPvd6nt
タイトルみたら解るんだから、覗かなきゃいいでしょうに。

194 :神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 20:47:40 ID:aMhzat5x
>>193
なに?あっはっはって某禅スレの嵐だろ?そんなのはなっから論外だよ。
鬼和尚とかもなんだか知らんがキャラサロンできもいw

>胡散臭く感じる方も感じさせる方も禅に懸命
っちゅうんは、まあ分からんでもない。

に、してもだ。
飾らずに話せよ。
そんなことできん奴が、なんが辻説法か。鼻水出るぜマジで!

200 :鬼和尚 :2007/09/29(土) 21:07:09 ID:ab0tcbyT
>>188 わしはもう自我が無いから、どんな風に喋ろうと、全て仮の我で語っておるに過ぎないのじゃ。
 ただみんなを喜ばせるために、このように語るのじゃ。愛護施じゃ。

>>189 わしにとっては親鸞も日蓮も、みんな小坊主のようなものじゃ。わっはっは。

>>190 そうじゃ。

>>191 そうじゃ。

>>192 なんじゃ?

>>193 そうじゃ。

>>195 そうじゃ。>>194は実はわしのファンじゃな。
 
  

心と宗教板 2007/09/29(土)

184 :神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 21:06:58 ID:+sTgRyzJ
>>181
鬼和尚さん レスサンクス。

集中しようと思うと、意識が働いてどうもやり難いだよねw


185 :神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 21:23:32 ID:Eps3j28x
>>160 わしのとんちにぎゃふんと言ったようじゃな。わっはっはっは。

>>181
二枚舌だったか。

名前に涙に自画自賛。どう思われたかと考える。

鬼の無我とは無数の我。

186 :神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 21:55:45 ID:9MVhZJQY
鬼和尚さんは悩んでから何年後に見性したのですか?

187 :神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 22:30:46 ID:Zbyqsad3
>>183
では、
善人なをもちて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
とはどのようなことでしょうか?

196 :鬼和尚 :2007/09/29(土) 20:56:50 ID:ab0tcbyT
>>184 どういたしまして、またおいでなさい。

>>185 無我の我は非我の我じゃ。わしは何を言っとるのかな?わっはっはっは。

>>186 わしは子供の頃、一度死にかけた事があった。それから死について、考えてきたから10何年か経っているかのう。あまり意味はないが。

>>187 親鸞はその言葉を、善人でも自ら善事を誇るものは極楽に行くのが難しく、悪人でも自ら誇ることなく省みて己を虚しくし、仏を信じれば、却って速やかに極楽に行ける、という意味で説いたのじゃ。
 これは微妙な所じゃ。
 例えば施しのような善と言えども、人々の称賛を得て自らを誇るためのものなら、既に善ではなく、そのような事をするのは善人ではない。
 ただ名声を得るための、嘘という悪ではなかろうか。
 それを自覚せず、自らは善人であると誇る者は、極楽も遠ざかろうというものじゃ。

 悪人が悪い事をしても、自らのした事を悪と知り、己を虚しくしてただ仏をのみ信じて身を惜しまねば、罪は清められ、やがて善を結ぶ原因にもなろう。
 そして極楽にも容易く行けるかも知れぬ。
 そのような意味で親鸞は言ったのじゃ。

 本当の善人が善をし続けても無駄とか、どんなに悪をしても極楽に行けると言う意味ではないのじゃ。
 ここの所を間違えてはいかん。

 大事なのはやはり、自らの心を清めるという事じゃ。
 これが無いと、己の心を省みて、善を為しているのか、ただ名声や他の利益の為に嘘をついているのか、判らなくなるじゃろう。
 自らを省みながら、慈悲の心を持って善を行えば、やはり富貴と極楽は最も近いと言えるのじゃ。 

心と宗教板 2007/09/28(金)

182 :神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 20:38:04 ID:Zbyqsad3
>>181
仏法のぎりぎり肝要なところをどうぞお示しください。

183 :鬼和尚 :2007/09/28(金) 21:02:45 ID:gkqBOEee
>>182 良い質問じゃ。
 すべての悪い事をせず、善い事を行い、己の心を清める事、これが仏の教えである。

 人として生を受けたなら、多くの善い事を行うのが、現世では富貴となり、生を終えては極楽に行く道じゃ。
 苦しんでいる人を力の限り助ける事が善であり、慈悲の心によって為されるものじゃ。
 お釈迦さまも慈悲の心で法を説かれたのじゃ。
 もしお釈迦さまに慈悲の心が無ければ、仏法も又無かったのじゃ。
 どれほど知識を集め様と、慈悲の心が無ければ、何の意味も無い。
 慈悲の心によって人々を助ける善い事をし、人々を悲しませる悪い事は行わないようにするのじゃ。

 そして、己の心を清める事で、悟りを得て不死の境地に行く事が出来る。
 無常の理によって、山の如き善事もいつかは消え去る。
 永遠の喜びを手にするには、己の心を清める修行が必要なのじゃ。

 すべての悪い事をせず、善い事を行い、己の心を清める事、これが最も肝要な所と言えるじゃろう。    

心と宗教板 2007/09/28(金)

159 :131:2007/09/27(木) 21:27:04 ID:JZMfb3+M
>>136鬼和尚さん
アドバイス、それと話を聞いてくれてありがとうございます。
正直に言うと私は精神的なものにばかり気をとられていて、現実的なものに興味があまり行かなかった。
現在もどちらかというとそうなんですが、
現実的な事をしなくてはどうも駄目だ。そう言う結論に至り、
(感覚的にそう思ったので何でかは自分でも良く分からない。
 そういう感覚は昔からあったがようやく受け入れた)
現実世界での仕事などで今まで歩んできた道を止めて、違う道へと方向転換し、一から出発しています。
やはり今までの常識が通用しない世界なので不安と恐怖はかなりあります。
でも辛くしている自我がどういうものかは観えているので、
今の職場で怒られながら見つづけていれば近いうちに自我も完全崩壊するんでしょう。
怒られてそれを観ていると、屁とも思っていない自分がいる反面、
悲鳴をあげている自我が苦しくてしょうがないです。
ここ一年ほどで何度か(少しづつ?)自我崩壊がおこってますが、今回も相当辛いです。
現在対面している自我は、自分にとっての行動原理の相当に深い部分だったので実に手強い。
(……毎回、今回が一番手強いと思ってる(^^;;;)

あまり出来ませんが数息観、これからも続けます。

160 :神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 22:24:41 ID:qGch1ULo
>>137
鬼に耳貸しゃ鬼になる。
鬼ヶ島で何をする?
>>138 涙する。鬼の目にも涙じゃ。 
    上手く決まったのう。


目を潰しといで。
舌を抜いてもらうといいよ。

161 :105:2007/09/27(木) 22:36:03 ID:1F/Fqo9b
>>158

たまには良い事言うじゃないか!

チベット人も頑張ってほしい。

162 :あっしゃー:2007/09/28(金) 00:22:22 ID:UbM5Mb7/
>>157 鬼和尚 さん

>>147 わしが判っているか、判らないのか、おぬしはどっちだと思う?

他人の判断を求めては、和尚自身 がなくなっちゃってますよー・・・・・……(-。-) ボソッ

163 :偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2007/09/28(金) 00:23:02 ID:bOXzc92f
>>162
それで、いいんじゃないか?w


164 :神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 02:42:49 ID:f4X+WL0R
>>163
たしかにw
そういう視点からみれば、>>162の発言もあながち・・
Σ(゚Д゚;)ハッ!
まさかこれも鬼和尚の導き・・?


180 :神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 19:30:46 ID:2gmqbY/7
一日の出来事をイメージをしながら思い起こし、反省などをしているが、
出来事をイメージする中で、全く関係の無いイメージが浮かんだり、気が付いたら
一日の出来事に全く関係の無いイメージを追って行ったり(連想)する事があるが、
原因は何でだろう?  そもそも、上記の様な方法は良くない方法なのかな?

181 :鬼和尚 :2007/09/28(金) 20:36:49 ID:gkqBOEee
>>159 うむ、頑張っておるな。おぬしの努力は必ず実を結ぶじゃろう。
 苦しい時こそ人は大きく成長するものじゃ。
 苦しければ時にはぐちなども吐いてよかろう。
 又、おいでなさい。

>>160 わしのとんちにぎゃふんと言ったようじゃな。わっはっはっは。

>>161 いつもじゃよ。おぬしも頑張るのじゃ。

>>162 わしがあるのか、ないのか、おぬしはどっちだと思う?

>>163 そうじゃ。

>>164 そうじゃ、良く判ったのう。

華麗にスルー

>>180 集中力が足りないのじゃ。先ず数息観を行ってから、必要なイメージングなどを行うが良かろう。
 反省は必要じゃ。反省の無い所に進歩は無いからのう。続けるが良かろう。


心と宗教板 2007/09/27(木)

155 :神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 20:36:29 ID:sqYeicJ0
おい。ミャンマーが今、ひどいことになってるぞ。
政府に働きかけなくていいのか?無抵抗の非武装の坊主が
殺されてるぞ。

156 :神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 20:46:41 ID:AcGIoU/3
>>155
あれは執着のない筈の坊さんが国のあり方に執着しているように
見えてしまって違和感があるんだけど、どうなんだろう?

158 :鬼和尚 :2007/09/27(木) 20:55:18 ID:vJhE+oVl
>>155>>156 うむ、難しい問題じゃ。
 僧侶として出家するという事は、俗事にはもはや生涯係らないという事じゃ。
 しかし、人々が苦しんでいるのを放っておくのは、慈悲とは言えん。
 僧としてではなく、人として起たねばならん。