心と宗教板 2007/10/31(水)

287 :神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 22:45:44 ID:29XBafat
>>286
そんなときに観察の行ですよ。

この世の幻覚に惑わされたくない(・ω・)/

288 :ダメ!絶対!:2007/10/29(月) 22:48:23 ID:pxSeMLFY
>>286鬼和尚さま、

>>268です。真摯なご返答ありがとうございました。
レスを遡って拝見し、唯一疑問に思いましたが、ご経験をお聞きしてなるほどと納得いたしました。

私も現在は止めておりますが昔愛好していたため、ご意見お聞きしたく思いました。

他にも拝見したお答えはみな心地よく響き、お教えを素直に聞き、まじめに取り組むことこそ大切と思っております。



291 :神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 02:26:45 ID:5UpKp3HW
一日15分ぐらいの瞑想でもやらないよりはいいでしょうか?

298 :なにわっこ娘:2007/10/30(火) 06:57:19 ID:e3Hy6qvN
よし!私今日から禁煙、禁酒の業に入るわ、それのほうが悟りの近道になるような気がするの鬼和尚様どう思われます?酒なんぞ飲んでる奴は悟れないって以前書いてらっしゃったけど、煙草も止めたほうがいいかしら?( ゚Д゚)y─┛~~

301 :なにわっこ娘:2007/10/30(火) 07:31:51 ID:e3Hy6qvN
それから鬼和尚たま、数息観で「鼻の頭に軽く意識を掛け」とありますが、目は半眼で鼻の頭を見つめる感じでいいんでしようか?

302 :なにわっこ娘:2007/10/30(火) 10:54:35 ID:e3Hy6qvN
う〜ん鼻を見るようにしたら目の筋肉?が痛くなりますね。

303 :神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 12:36:35 ID:reUtBhq+
>>302 鼻の頭を見つめるのではなく 「鼻の頭に軽く意識を掛け」る をイメージするでは?


305 :鬼和尚 :2007/10/30(火) 21:51:12 ID:k3E93mKS
>>287 そうかもしれん。

>>288 そうじゃ。止めるのがいいのじゃ。
 一瞬の快楽と人生を引き換えにしてはならんのじゃ。

>>291 毎日十五分も続ければ素晴らしいものじゃ。頑張るのじゃ。

>>298 タバコも止めた方が良いが、それがストレスになる位なら吸ってもよかろう。

>>301>>302>>303 瞑想中の眼の使い方は、少し難しいものがある。
 人間は心が動く所に眼を動かす癖がある。右に行く時は右を見、左に行く時は左を見るじゃろう。
 強く集中している時、普通は眼は眉間を見て寄り眼になったり、白目になってしまう。そうすると眼の筋肉が疲れてめまいや頭痛の原因になってしまう。

 これを防ぐには視線と意識を切り離すのが肝心じゃ。
 視線は前方に放り出したまま眼から意識を抜き、心だけが呼吸に集中するようにするのじゃ。
 集中しながらも眼は眉間を見ないようにして、視線だけを前から動かさないようにするのじゃ。
 初心者には難しいかも知れんが、慣れれば直ぐに出来るようになる。

 もし、どうしても眼を動かしてしまうとか、見ているものに気がいってしまうというのなら、眼を殆ど閉じるか、完全につむってしまっても構わない。
 自分にとって簡単で、長く続けられるやり方を探すのが一番いいのじゃ。
 頑張るのじゃ。わしがついておるぞ。

心と宗教板 2007/10/30(火)

266 :神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:25:26 ID:daFF5sjf
>>265

>261 真の仏教はただ一人で修行する事じゃ。カルトとは無縁じゃ。

そうじゃな、カルトであろうとなかろうと、純粋に道を求める者はどこぞの組織
とも関わっちゃダメなのじゃ。なんも知らんうちは誰かにお世話になるのも良かろう。
じゃがしかし、神も仏も菩薩達に求めているのは真の自立じゃ。親が子供の自立
を求める事と同じじゃ。勿論、教義もいつかは捨てなきゃならん。人間、得るべきモノ
は何も無いのじゃ。無常の風は最強じゃ。誰も奴には勝てん。だからこそ本来無一物
なのじゃ。


267 :大王:2007/10/28(日) 23:59:21 ID:OYSdXEuJ
鬼和尚さんと混じって、、

天台小止観はいいぞお、、、

丹田に向かってゆっくりと吸い、、丹田から吐き出す、、落ち着く禅、、静寂方向、、
眉間の上、お釈迦様の額のほくろの位置へ、ゆっくり吸い込み、額から、ゆっくり吐き出す、、落ち込み、元気が無いとき有効です、、、元気方向、、

268 :神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 01:57:40 ID:pxSeMLFY

鬼和尚さま
>>155の>>123を拝見いたしました。

まず問いに問題があるようですが、合法化に向けて頑張っておられる方々に対してのご配慮をいただきたく存じます。

http://www.cannabist.org/


278 :神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 14:16:47 ID:cSURpMkX
鬼和尚さんなんで一休禅師匠はあの様になっちゃったの?
今から悟ろうと思ってる私には大問題です。

283 :神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 17:14:55 ID:cSURpMkX
一休禅師の行動は奇人、変人、奇想天涯の逸話が沢山あるものですから。
自我を完全に取っ払うとあんな感じになるのでしょうか?

286 :鬼和尚 :2007/10/29(月) 22:04:31 ID:UHuK9h9f
>>266 そうじゃ。

>>267 そうかもしれん。

>>268 個人の自由を広げようとするのは、いいことかもしれん。
 しかし、大麻には明らかな危険性がある。
 わしの友人は知人に勧められて大麻を吸って、人事不省になって救急車を呼ぶはめになった。
 その間、幻覚を見ていたそうじゃ。
 わしは体中についた見えない虫を一日中、取っている中毒者も見た事がある。
 普通のタバコでそんなことは起きるまい。
 大麻は酒やタバコに比べて、明らかに危険性が高い。

 わしが信じるのはこの目で見た事だけじゃ。
 大麻が安全だという、学者の研究や、快楽を求める者の言葉は、わしには何の意味も無い。 
 これからもわしは、そのようなものでは、悟りは得られず廃人になると言うじゃろう。

>>278>>283 一休は面白い和尚であった。
 己の役割を良く知っていた。
 あのように、一種の道化として振舞う事で、当時の人間に教えを授けていたんじゃろう。
 おぬしにが別のやり方で、人々を教えようと思うのなら、一休のようにはならないじゃろう。
 自我を失う事は、自己のコントロールを失う事ではない。
 むしろ体を抑制することが出来るようになる。
 安心して修行するが良かろう。
    

心と宗教板 2007/10/29(月)

259 :神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 02:00:21 ID:ZSXg/ES+
ありゃ、鬼さんの未来アンカふんじゃった・・・

まぁ方法論や段階は色々あっても
結局は集中力を高めて、己の心を観つめるっていう事以外ないんじゃないかな?


260 :神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 03:30:37 ID:kA9Perp3
メディアの擦り込みに、どっぷり浸かっている世代だと
現実は無価値だと思い込んで、何も出来なくなる人が増えそう。
オウムみたいに、現実じゃないから、殺してもかまわないとか

悟りのスレって、方法論ばかりだと、
悟りの状態だけを擦り込みまれた怠惰な人間が生まれるんじゃないの?
悟りにいるなら、これからは心境を語る方が重要になるんじゃないだろうか

と書いたけど、まずは悟っている人が沢山いないと、議論にならないんだなあ

261 :神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 04:48:28 ID:6oK/HQNV
悟ったよ。
どいつもこいつも金儲けのインチキばかり。
宗教を利用して心を支配し幸福を奪うのが目的。
その構図はまさに弱肉強食を絵に描いたようなもの。
宗教は食物連鎖のピラミッド型を成す。
無形のピラミッド、上にではなく下に伸びていく無限大のピラミッド型。
頂点に教祖がいて、信者を増やせば増やすほど、下にピラミッドは大きくなっていく。
下が金や幸福を出して、上の教祖が吸い取るシステム。
まるでマルチ商法のよう。
いや、マルチが宗教形態をまねしたというべきだろう。
金儲けと支配が目的の宗教。
こんなものに手を出して幸福になれるわけがない。
幸福はゼロサムゲーム、教祖の総取り。
巨大な建造物を建てるのは、寄付金を集めるための口実にすぎない。
教祖が幸福になり、なぜ下っ端が幸福にはなれないのか
それは、教祖が下っ端の幸福を吸い取って幸福になっているから。
それだけのことだ。
金をもらって念仏を唱える者と、金を払って念仏を唱える者。
教祖が幸福になり、下っ端が不幸になる。
当たり前なこと。
マルチな宗教にはまって不幸になるのは道理です。

265 :鬼和尚 :2007/10/28(日) 21:56:18 ID:YnQpWZKK
>>259 そうじゃ。集中して己の心を見つめるのじゃ。

>>260 おぬしが悟りを得て、心境を語るが良かろう。わしが許す。

>>261 真の仏教はただ一人で修行する事じゃ。カルトとは無縁じゃ。

心と宗教板 2007/10/27(土)

255 :鬼和尚 :2007/10/27(土) 21:21:35 ID:kHHdUncQ
 さてみんなそろそろ、集中力がついてきた頃じゃろう。
 観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。

 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
 連想や記憶は雑念なのじゃ。

 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
 そうすれば雑念は自然に消えていく。
 このような時に止の行は役立つのじゃ。
 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。

心と宗教板 2007/10/27(土)

245 :大王:2007/10/26(金) 23:21:00 ID:9JZVYX11
鬼和尚さん、、おいらは、妖怪なので、、各宗教別ボーダレスの異常状態なのです、、
故に、鬼和尚さんを見て、ほっとするのです、、、

故に、鬼和尚さんが、とても、素敵に見えます、、、

246 :神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 23:23:54 ID:3BBkaoZX
煩悩と欲望は区別すべきだと思う。

247 :神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 01:10:06 ID:Te1TgOqR
鬼和尚さん、こんばんわー
今日は質問ないのですー。
勉強も夜中の2時までやってますー。
今日は上司に怒鳴られませんでつた。
明日は、春・秋収穫できるいちごの苗を買いに行きますー。
では、また、相談にのってください。
(^ω^)


248 :落武者:2007/10/27(土) 07:57:34 ID:mIevVyk6
自分が考えるところの最初期の悟りである純粋意識を得るための方法論を少しばかり語りたいと思います。
たぶん集中力を極限まで高めることだと思います。
こめかみから息を吐くような感じで集中します。
すると前頭葉に圧迫感を感じるようになります。
それは血が集まっているからです。
それでそれが極度に高まりうまくいけば純粋意識を得られるはずです。
エネルギーを重力に逆らって逆流させることが必要みたいです。
ダンデスダイジの著作にそういう記述がありました。
Jクリシュナムルティーが覚醒に至る過程で何度も悲鳴を上げて気絶したという側近の証言があります。
Bロバーツもそれに近い体験をしたと著作に書いています。
GIグルジェフのいうところの緩衝器とは重力のことだと自分は考えます。
失敗すれば脳に血栓ができて障害が出たり死んだりするかもしれません。
そこで失敗しないための方法論も考えました。
長くなるのでそれはまた今度書きます。

249 :神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 11:56:52 ID:Azdpmyaq
鬼和尚さん
曼荼羅を中古で買うのはやばいすか?
たいぞう界とこんごう界どっっちもなんですけど

一回捨てられたもんを買うのは如何なもんかと思ったり
でも、仏陀の集合には厄なんてつかないような気もしたり

250 :神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 15:31:50 ID:IRT+8Sdv
そろそろ誰か舎利子さんを探してきてくれ〜〜〜T_T

251 :偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2007/10/27(土) 16:23:22 ID:j1N61TZY
>>250
書いてないだけで、見てるんじゃないかなあ?

そのうちまた何か書いてくれるだろう。


258 :神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 01:38:20 ID:ZSXg/ES+
知識をたくさん蓄えて、難癖つけられるようになる事。

254 :鬼和尚 :2007/10/27(土) 21:17:48 ID:kHHdUncQ
>>245 おぬしもかなり素敵じゃ。

>>246 そうかも知れぬ。

>>247 それはよかったのう。いちごの苗で修行じゃ。

>>248 おぬしは普通にやるが良かろう。

>>249 仏は祟らないと聖徳太子も言っておる。買うが良かろう。

>>250>>251見てるじゃろう。

>>258 そうじゃ。オウムは止めておくのじゃ。


心と宗教板 2007/10/27(土)

228 :神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 23:09:34 ID:c+MJ2nH+
>>227
鬼和尚さん、ありがとうございます。
給料貰ってる所に言ってみます。

230 :神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 08:12:47 ID:R8iAedhl
悟りを求めるのも、どこか自己逃避の匂いがするんだよな。
現実が上手く行かないから、悟りを求めるというのも、
結局は、具体的な解決が出来なくて
社会生活を送るのには危険なんじゃないの?



233 :神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 13:25:04 ID:R8iAedhl
悟りの勘違いに、無欲とか少欲があると思うんだな。
お金稼ぐのも、会社を大きくするのも、正常な事で現実だと思う

仏教の言う「こだわるな」に、とらわれて、
ストレスの無い、何もしない世界にいるなら、生きているのだろうか
もの凄く行動的になって、限界を破るのが、生きているなんじゃないかな
悟りは、無欲から大欲に移らないと、いけない気がする。





235 :大王:2007/10/26(金) 16:38:56 ID:9JZVYX11
鬼和尚さんへ、、

たしかに、、お経からはたしかに、得られる感じがありますね、、

鬼和尚さんのスタンスが解ってまいりました、、、、

鬼和尚さんの、悟りは語られるべきだ、、、というスタンスは素敵だと思います、、
どうしても、人間は弱いものですから、、、「知る」から、組み立て行く方がいいですねえ、、

おいらは、エイリアン妖怪過ぎてるから、、
鬼和尚さんの様に、素敵に、、という感じではいけそうにも無いですね、、、

241 :鬼和尚 :2007/10/26(金) 21:55:07 ID:iv45LUEj
>>228 そうじゃ、頑張るのじゃ。

>>230>>233 社会に希望を持っている若い者には、悟りを得るということがどのようなものなのか、未だ理解出来ないじゃろう。
 若いうちは社会でもがいてみるのも良かろう。

>>235 うむ、判ってもらえて嬉しい。おぬしも経を読むがよい。





心と宗教板 2007/10/26(金)

204 :大王:2007/10/24(水) 22:22:55 ID:xpQsCKbQ
鬼和尚さんは、唯識と道元さん、とどっちの影響が色濃くあると、思いますか?
鬼和尚さんの感覚も少し、知りたいので、、
または、原始仏教、南方仏教、曹洞宗、法相宗の流れで、どこが影響強いですか?
また、、好きなお経、影響を受けたお経はどれが比較的強いですか?

修行のプロセスで、どんな影響を受けてこられたのかを知りたいです、、



209 :落武者:2007/10/25(木) 00:22:36 ID:5HnPoHyW
私は悟りがどのようなものであるかよりも悟るための方法論を知りたいのです。
思考をやめることが肝心だという見解があります。
私は見つけたのですが、思考をやめるためには息を止めている時間をなくせばよいのです。
みなさんよく観察してみてください。
あなたが意識的にせよ無意識的にせよ何かを思考しているときは呼吸が止まってます。
別に心臓が止まっているという意味ではありませんし、意識的に息を止めているという意味でもありません。
呼吸には吸うと吐くの動作の間にわずかに息を止める瞬間があるのです。
それはほんとにわずかであるゆえに普段我々はそれに気づくことがなく、また思考も断片的なのです。
息を片時も止めることなく呼吸をすれば思考は限りなくゼロになります。
しかし問題があるのです。眠くなるのです。
息を吐くという動作に意識を薄れさせる作用があるからです。
なんといいますか、止息は集中であり、吐息はリラックスであるということなのです。

219 :落武者:2007/10/25(木) 17:43:53 ID:5HnPoHyW
ヴィパサナー瞑想か
それ聞いたことがある

たぶん瞑想の真髄は集中しながらリラックスすることなのだと思います
息を吐くことで眠くなるのを少しでも緩和させるために
集中力を高める方法も見つけました
こめかみに力を込めます
そうすると次第に前頭葉のあたりに圧迫感を感じるようになります
それと眼圧が高まります
あんまりやると目が破裂しそうな感じがするのでほどほどにしていますが
そのせいかやっぱり眠くなってしまいます
それで思い切って破裂覚悟で徹底的にやってみようと思います

バーナデットロバーツの自己喪失の体験に私の集中力を高める方法と似た体験の記述を見つけました
どうも究極の集中力は自己を結晶化させるようです
結晶化した自己なしには無の体験は悟りというか地獄となるようです
よく禅で魔境という境地が言われますが
あれは一般的に言われているような超能力とかではなく
バーナデットロバーツが体験したような自己なき無の体験のことなのかもしれないと思いました

210 :神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 02:53:07 ID:31NkZCz1
悟ったら、貧乏になった。
芸能で札束握っていた頃が懐かしい。
ただ生き様は、餓鬼畜生そのものからは変わったかもしれないが
どちらが、良いとも悪いとも言えないな。人生は。流れるままだね。

212 :194:2007/10/25(木) 06:00:49 ID:vor2FbUV
>>198
鬼和尚様ありがとうございます。

何事にも動じない不動心…普段何事にも動じているので凄い魅力的ですね。

213 :神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 10:17:03 ID:gNQbA2tQ
神と仏はどっちがえらいの?

222 :神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 19:26:31 ID:c+MJ2nH+
>>198
鬼和尚さん、いつも、たわいのない質問に答えていただき、ありがとうございます。

また、質問なのですが、うちの上司があるクラブの女に会社の秘密情報を渡しているのを見てしまってい以来、上司から怒られても、その上司の背後に赤いドレスの女が映って見え、
集中できず、怒鳴り声が右から左へ流れていきます。
最近、私が上司の話を聴いていない場合があることに上司も気づき、「どう考えているのだ」と怒鳴られます。
その女はミキティーと呼ばれているのですが、正直に「ミキティーのことが思い出され、集中できません」と、上司に言ったほうがいいでしょうか?

224 :187:2007/10/25(木) 19:39:31 ID:4Hscwlzi
>>197
なるほど客観的ですか。よく分かりました、ありがとうございます。
自分の中に、必要以上に自分を高く評価したい(して欲しい)という欲求があるのかもしれませんね。
ネガティブな感情はすぐ気づけるし反省できますが、自尊心とからむ自分の意識は難しいです。

227 :鬼和尚 :2007/10/25(木) 22:53:34 ID:1P3Xro4L
今日は遅くなってしまったようじゃ。

>>204 わしが一番影響を受けたのは、お経じゃ。
 道元も、唯識論も、修行や理論的な部分の説明に使っているだけじゃ。

 わしは修行中には大乗仏教の般若経典を良く読んだものじゃ。
 特に金剛般若経を読んでいる時に、観照が起こったせいで強い印象があるのう。

>>209>>219 普通にやるのが一番いいのじゃ。初心のうちは焦って早く効果を出そうと、いろいろと試したりするものじゃが、結局普通にやるのが、一番早く、確かな道なのじゃ。
無理をして病気になっては何の意味も無い。

>>210 そうかも知れん。

>>212 どういたしまして、又おいでなさい。

>>213 おぬしがえらいと思った方じゃ。

>>222 おぬしが給料を貰っている所に言う方が良かろう。

>>224 うむ、批判も称賛も無く、ただ真の己を見つめるのじゃ。
 
 

心と宗教板 2007/10/25(木)

194 :神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 18:05:06 ID:FVoMqFC/
鬼和尚さま、
座禅を一日30分すると、
座禅をしていない23時間30分は、
全く座禅をしていない場合と比べて、変わるのでしょうか?

30分以外にも座禅的?に生活する必要があるのでしょうか?

195 :神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 18:22:02 ID:usMb3Xlj
数息観をやってみて数日
不動心どころか、かえって感情に対して過敏に反応するようになった気がする・・・

196 :神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 20:00:43 ID:6nZEf8KO
鬼和尚さん、
悟りの観点から、勉強に集中できるテクを教えてください。

198 :鬼和尚 :2007/10/24(水) 20:50:59 ID:vSB53Ce1
>>194 数息観を修行すれば、日常でも落ち着いて何事にも動じないようになる。
 その心は不動の心、不動心と呼ばれる。
 昔の侍などはこの不動心を得たいが為に、修行したものじゃ。
 真剣勝負の場では、心が不動であった方が平常心で戦えて有利になるからじゃ。

 真に悟りを得たいと思うのなら、日常でも常に気をつけて、己の心を観察していると良かろう。
 そうすれば速やかに深い境地に行く事が出来るじゃろう。
 しかし、普通に生活する者は、それほど気にかけなくとも、善い事をするように心がけて置けば良かろう。

>>195 それは集中力がついて、今まで判らなかった心の動きが、感知出来るようになった為じゃ。
 続けておれば心の動きを感知しながらも、惑わされないようになるじゃろう。
 頑張るのじゃ。

>>196 笑いながら楽しんでやるが良かろう。わっはっはっは、と。