心と宗教板 2008/07/31(木)

600 :エッチでリッチな なめなめおじさん:2008/07/31(木) 20:58:52 ID:/lZrZl5J
あら〜
鬼ちゃん 挟んじゃった

鬼ちゃん、こんばんわ☆



604 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/07/31(木) 21:13:30 ID:CrKi+TgF
>>600 こんばんわ。今夜もなかなかのなめなめぶりじゃな。なめなめふぇすてばるじゃな。

心と宗教板 2008/07/31(木)

528 :神も仏も名無しさん:2008/07/31(木) 17:10:31 ID:oVqqMIfj
このスレの言いたいこと

・悟りとは、この世が妄想だと気づき 一切の苦を離れ 自分というものは無く大いなる意識の一部だと認識する事
・そのためには止観の行を行う
・観の行に必要な集中力を止の行で養う
・止に支えられた観で自我および認識の主体を乖離する
・人は正しく修行すれば、誰でも悟れるものじゃ。わっはっはっは。

こんな感じか。


530 :神も仏も名無しさん:2008/07/31(木) 17:31:03 ID:F9S3pxMl
悟りをひらくと智慧がわくというがその智慧は何に役立ち使うのであろうか?
内面的な問題のみに使用し社会的というか現実的なことにその智慧は使えるのだろうか?

555 :神も仏も名無しさん:2008/07/31(木) 19:25:30 ID:F9S3pxMl
物の見方が「今ここ」に変わったということ?今だけを生きると?
過去を思い出し、悔やんだり人を憎らしいと思わなくなったり、
未来に対し、不安もなにもないということ?

567 :神も仏も名無しさん:2008/07/31(木) 19:43:49 ID:F9S3pxMl
『今ここ』と普通の凡夫の状態を比較した場合、何がどう違うのだろうか?


603 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/07/31(木) 21:12:00 ID:CrKi+TgF
>>528 そうじゃ、判ったら修行するのじゃ。

>>530 悟りの智恵は人を導く為に役立ち、人を導く為に使うのじゃ。
 人の集まりが社会であり、現実に存在するのは人だけとである故に、人を導く事が社会と現実に使う事なのじゃ。

>>555>>567 それもある。
 禅に面白い話があったのう。
 昔、悟った坊さんが、小僧と歩いておった。
 途中に、石が落ちそうになっている所があった。
 しばらく歩いてから、小僧が「あそこで石が落ちそうになっていましたね」と、僧に話しかけた。
 僧は「おまえはまだ、あの石を持っていたのか」と言ったそうじゃ。

 この何気ないエピソードが、悟った者と普通の者の差をよくあらわしておる。
 だからこそ、禅の者もただの忘れっぽい坊さんの話を、大事に伝えてきたのじゃろう。
 悟った者は常に今ここにおり、過ぎた事は追わない。
 普通の者は常に過去のものにとりつかれ、そこから抜け出せない。
 それが違いなのじゃ。

心と宗教板 2008/07/31(木)

480 :王観 ◆CornJJfrss :2008/07/30(水) 23:19:17 ID:Q2oiHU5q
質問!
僕は今、恐ろしく平穏な日々を送っています。

今まで、何回か大きな気付きがあって、その度に癒着していた欲や固定観念が取れ、
どんどん身が軽くなる自覚が出てきていたのですが、今までのそれは、全て苦の中からだったんです。
考えて考えて、正直病んだりして、そこからハッとした気付きが出てきていました。

そして、今のような進み方で、果たして今まで通りステップアップ出来るのかが少し不安なのです。

これは、修行が進んで行くにあたっての、形式の変化のようなものなのでしょうか?
緻密な思索をしなくなったゆえ、悪い意味の方ででくだけてしまいそうです。
童心の悪のりのような感じですかね。
知識が多少ある分、それを使って、無心で正当化に走ってしまいそうな懸念があるのですが・・・

今まで緻密な思索と思想によって保っていた精神状態を、体感として持てつつある、そんなサインなのでしょうか。


495 :神武以来の天才:2008/07/31(木) 01:02:42 ID:Csi6k5sp
男「う〜ん、ここは こうしてこうされたほうがいいですね〜」

女「加藤先生…駒を使って解説を…」

男「あ、あ、あ、そうでした!」

521 :神も仏も名無しさん:2008/07/31(木) 15:01:15 ID:gVpDG7Pb
鬼和尚様

俺んちの玄関にハチが巣をセセと作ってるんだ
壊してもまた凝りもせずつくるんだ。
玄関に蜂がいては困るんだが どうすればよいか?
蜂を殺すべきなのか?

525 :まりえ:2008/07/31(木) 16:31:12 ID:8yKqXDfi
鬼和尚
>>304の答えがそれ?

56億7千万年後に弥勒が救ってくれる前に
日本人は絶滅してしまうよ
目の前のアイスコーヒーをなめなめおじさんが黙って舐めたら
ぶっ飛ばしてやる!
無抵抗主義なんて大嫌いだ!

598 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/07/31(木) 20:54:35 ID:CrKi+TgF
>>480 それでいいのじゃ。恐れる必要は無い。
 その懸念は自我のありようが揺らぐ事による、恐れから来ておる。
 観察し、厭離すれば人は変化していくものじゃ。
 変化していくと、自我も揺らぐ。
 そして、思索と思想によって保っていた自我が消えようとすれば、恐れや不安も生じるじゃろう。
 しかし、思索と思想によって保っていた自我も、実は自分ではないと、正しく理解していれば、恐れも消えるじゃろう。
 観察の道は確かに、人を悟りへの深淵に連れて行く。
 迷う必要は無いのじゃ。

 そして、深淵に挑むのが早すぎると思うなら、一時休んでみるのも良いのじゃ。
 一生を通じて悟りを得られたら、それでいいのじゃ。

>>495 さすがじゃ。

>>521 何度でもどかすのじゃ。きりがないとか、考えるからどうしようと悩む。
 何度来ても、何度でもどかすだけでいいのじゃ。
 それがお互いに役立つ行いなのじゃ。

>>525 実はおぬしのパパンとママンは朝鮮国から来たのじゃ。
 おじじはママンを日本国の兵隊から守って死んだんじゃ。









 とか、言われたらどうする?
 生まれた土地に国があり、国があるから他の国と戦わなくてはならないと、空を飛ぶ鳥や、大海を泳ぐ魚は知っているじゃろうかのう。


心と宗教板 2008/07/30(水)

386 :神も仏も名無しさん:2008/07/30(水) 08:05:51 ID:uMbPa8Lg
まぁ、宗教板で一所懸命そのへん語ってもなぁ、って感じはあるなぁ。
やっぱ日本人だとか朝鮮人だとかいう妄想をどうにかしてく方向じゃない?

402 :神も仏も名無しさん:2008/07/30(水) 11:07:24 ID:p6/8Nd5+
楽しいね!

418 :神も仏も名無しさん:2008/07/30(水) 14:54:39 ID:uMbPa8Lg
どっちも夢みたいもんなら楽しいほうを見たほうがいいな

422 :神も仏も名無しさん:2008/07/30(水) 16:59:45 ID:BNEY0Fm6
そうだ!我々には龍賢さんと鬼和尚様のお教えがあればいいんです!

452 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/07/30(水) 20:54:39 ID:RP7hrtWg
>>386 そうじゃ、日本国も朝鮮国もムツゴロウ王国もヤマタイ国も妄想じゃ。

>>402 楽しいのう。わっはっはっは。

>>418 そうじゃ、楽しい夢を見るのじゃ。黄金の夢を見よ。

>>422 そうかもしれん。



心と宗教板 2008/07/30(水)

251 :240:2008/07/29(火) 21:32:09 ID:Q8Ip2/Tn
>>250
いえ、自分が誰かを呼ぶんです。
自分の中から誰かに向かって。意思働かずして。

え?「いずれにせよスルーじゃ」?
わ、分かってますよ。
レスありがとうございました。

252 :神も仏も名無しさん:2008/07/29(火) 21:37:25 ID:4dnDHe4o
>>250
人は暗闇を歩いているようなもので、仏陀にしか見えない世界があると


253 :神も仏も名無しさん:2008/07/29(火) 21:58:33 ID:uixP9HB9
>250 鬼和尚
>仮想された現象を見ていたと、知れる

それは鬼和尚がそうと決めただけじゃないの?
今目の前にある世界を仮想と決めるのも真の現実と決めるのも、すべてその人次第じゃないかな?
俺としてはどっちを選んでも良いと思う
好きな方を、幸せな方を選べばいいと思う
極楽浄土を心の中に望んでも良いし、
形あるこの世界に望んでも良いんじゃないかな?

258 :神も仏も名無しさん:2008/07/29(火) 22:20:22 ID:4dnDHe4o
仏陀にしか見えない世界をみて人は正気でいられるのだろうか

304 :神も仏も名無しさん:2008/07/30(水) 00:13:48 ID:Yol5Z9p1
このスレ的に竹島問題をどう見てる?
日本が取る行動ってあるかね?

鬼和尚、龍賢、オカル、凡、なめなめ他コテハン諸氏にも是非お聞きしたい。

451 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/07/30(水) 20:46:53 ID:RP7hrtWg
>>251 そうじゃ、自分が誰かを呼んでもスルーじゃ。又おいでなさい。

>>252 見てはいるが、寝ながら見ているようなものじゃ。

>>253 人の見る現実が、仮想されたものである事は、すでに記号論や脳科学の方面からも、明らかになりつつある。
 それとは別に、悟りを得た者は、自分が今まで仮想された現象を見ていたと、判るのじゃ。
 それは想念や概念によって、決めたり判断できるのではない。

 実感として感じるのじゃ。
 全ての感覚が、仮想の幕を取り払われ、確かな現実を感じる。
 何一つ分裂したものはないと、感じる。
 意識は全てを貫き、一体であると感じる。

 そこに至って初めて苦からの永遠の開放があり、不死の境地に至るのじゃ。
 この世界に起こっているあらゆる苦を、目をそらさずに見つめ、一切が皆苦であると正しい見解を持たなければ、そこに至る気も起こらないじゃろう。

>>258 仏陀にしか見えない世界を見るには、仏陀になるしかないのう。

>>304 飽きるまで議論するがいいのじゃ。そして結局は真中で分けるという辺りに落ち着くじゃろう。
 騒ぐ者をだしにして、上ではとっくに話がついておる。
 それが政治というものじゃ。
 政治に関われば虚しいものじゃ。 



心と宗教板 2008/07/29(火)

203 :光葵:2008/07/29(火) 11:22:35 ID:doeQtLq3
鬼和尚はいい人だ、尊敬できる書き込みは沢山みた。

しかし私は信者でもなけば、鬼和尚を崇拝もしない、
こんな当たり前の事が、
♪知らず知らずのうちに〜♪だ、気をつけよう。

私は私だ、別に本名がある、誰でもいいじゃな〜いの(^_-)☆



233 :なにわっこ娘:2008/07/29(火) 15:48:41 ID:bFohMu+q
明日はサーフィン♪
でも、筋トレし過ぎて肩痛めた_| ̄|○

234 :神も仏も名無しさん:2008/07/29(火) 16:24:48 ID:8W8gUHCX
実生活でやっと集中を実感し始めた
何たる遅々とした進み具合
犀というより亀だなこりゃ

237 :神も仏も名無しさん:2008/07/29(火) 17:48:24 ID:4dnDHe4o
悟ると何かが見えるようになるのか、悟っても別に何かが見えるようになるわけではないのか

239 :神も仏も名無しさん:2008/07/29(火) 18:29:51 ID:0F/tInZW
探求心からくる興味本位ですが、修行すれば悟りますか?

2 :神も仏も名無しさん:2008/07/27(日) 11:47:58 ID:qjAWOMuA
数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。
 
 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。

 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
 そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
 もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
 人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。

 例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。





240 :神も仏も名無しさん:2008/07/29(火) 18:41:37 ID:Q8Ip2/Tn
今、瞑想してたが、自分が誰かを呼ぶなぁ。

○○さん(忘れた)、○○通り 一緒に行きましょう!
馬場さん!

何じゃこりゃ。ま、いいか。気にするといかんみたいだし。

250 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/07/29(火) 21:23:08 ID:iZ2rX94x
>>203 おぬしもなかなかのなめなめぶりじゃ。

>>233 冷やすのじゃ。と言っても遅いようじゃ。

>>234 それでいいのじゃ。毒蛇は急がないということわざがある。
ゆっくり進む者こそ、確実に進む者じゃ。

>>237 何も見ては居なかったと、判るようになる。
 仮想された現象を見ていたと、知れるのじゃ。
 そして、真の現実が見えるようになる。

>>239 やる気も必要じゃ。>>2から読んで修行すると判るじゃろう。

>>240 そうじゃ、誰が呼んでもスルーじゃ。

心と宗教板 2008/07/29(火)

155 :神も仏も名無しさん:2008/07/28(月) 21:24:20 ID:/CssZXy8
悟りって汎神論のようなものかな
全てで全てみたいな
スピノザ読んだが訳わからず

168 :神も仏も名無しさん:2008/07/28(月) 22:12:12 ID:kz75JMke
だけど、こういう経験もあります。
オリンピックの有森選手の有名なセリフで「始めて自分で自分を褒めてあげたいと思います」
というか、これは八正道を実践していくにしたがって得られるような感覚っていうか
人格が高まったような感覚ですよね。
悟りってこんな感じのもんなんでしょうか?

172 :王観 ◆CornJJfrss :2008/07/28(月) 23:40:36 ID:cnaw5L65
身の回りの変化そのц(`へ´щ) 5

■記憶力が低下してきた。w
→念をあまり継がなくなった分、記憶を取り出す作業をしなくなり、
以前に比べて頭の回転率(記憶力)がかなり低下した。
(しかし、昨日さんまさんを見て、以前のように回転率の早い状態を
僕の中でイメージとしてインプットすることができた。さんまさんありがとう。w)

今はまだ「念を継がないようにしている」ので、
「どれだけ念を継いでも差し支えがない」
ようになれば、回転率も上がり、また記憶力も戻ってくるとは思う。

■感情を許すようになった。
→精神状態の判断をしなくなり、喜怒哀楽がそのまま出るようになった。
笑うなら笑う。イラつくならイラつく。
凹むなら凹む。楽しむなら楽しむ。

童心に帰ったような気分です。w
しかし、感情が揺れると行っても、感情的な痛みにも痛まない、そんな感覚です。この前のウンコと同じです。w

余談ですが、この「感情」も探れば、
過去の人生経験から形成された、価値観と思想に
無意識に、それでいて瞬間的に照らし合わされて出てくる、条件反射のようなものなんですよね。
「条件反射なんだ」と思えれば、それはもう条件反射じゃなくなる。

>>129鬼ッズさん
便秘の次の日は下痢でしたよ。w
でも、便秘時と特に具合は変わらずですかね。「痛み」+「熱さ」みたいなw

そこで不思議に思ったのは、
下痢は別に出にくいわけじゃないのに、なぜ痛みが発生するんだということですwあっはっは。


186 :キンキ鬼ッズ ◆Kids/N.vso :2008/07/29(火) 02:25:00 ID:grVMGxgT
下痢のとき観察を試みました。
痛くて観察どころじゃなかったんです。その瞬間に私が癌で苦しんで死ぬイメージが沸き起こったんですね。恐怖に巻き込まれましたよ。

正しく観察出来たときは厭離が起こりますね。私の場合厭離が起きたときはある感覚が有りますから、それが正しく観察出来た「合図」です。

189 :神も仏も名無しさん:2008/07/29(火) 06:58:11 ID:SM6Ojl1e
ダンマパダに「安らぎが最高の楽しみ」なんてあったが、そうありたいけどなかなかねえ…。

人の失敗を望む割には、本当に失敗すると「悪ぃ、言い過ぎた」なんて罪悪感が起こるし
すれ違う時、どうしても女の子の顔と胸を確認するし
勝負するとギリ勝てる位の 自分よりちょっと下の奴を周りに置いておきたいし

俺は凡夫の中の凡夫だ。
昔アリスの歌であったな…You are 凡夫 of 凡夫s って。

249 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/07/29(火) 21:13:44 ID:iZ2rX94x
>>155 汎神論では神という概念がまだ存在しているのう。
 そのような概念すらもなく、人が自ら全てであると了解出来るのが、悟りと言えよう。

>>168 おぬしも苦しんでいるのう。自分を認められる感覚が、至高のものと感じるのは、それだけ認められる事が少なかったのじゃろう。
 それは悟りとは逆の自我認証ではあるが、今のおぬしには一番必要なもののようじゃ。
 他人が何を言おうが、いつも自分を認め、誉めてやるが良かろう。
 そうすれば病も消えるじゃろう。

>>172 いい観察じゃ。感情も、頭の回転も、やはり条件反射でなりたっているのじゃ。
 それに自我を投射するのが、心の慣習なのじゃ。

>>186 惜しいのう。もう少しじゃ。

>>189 それでいいのじゃ。己の心に嘘をつかなければ、既に悟りの門に入っている。
 そのような者にこそ、全ての道は開かれるのじゃ。

心と宗教板 2008/07/28(月)

148 :神も仏も名無しさん:2008/07/28(月) 21:12:02 ID:kz75JMke
「生きる事にも死ぬ事にも恐怖も苦も無い」ですか?
生きるっていうのも普段考えないですが、うーん普通皆さん仕事に行くのには所得を得て食べていかないきゃとか色々な目的がありますよね。
逆に職を失ったら、どうしよう。食ってけないよ、ってなりますよね?
お釈迦様も托鉢をいう行為をされ肉体における生命の維持をしましたが、
仕事に例えるなら托鉢(仕事における給料)を恵んでもらえる保障なんてないし、今日はごはん抜きかもしれない。
1日や2日ならいいかもしれないがずっとならいずれ死ぬ。
どうしよう・・・こうは、ならないのですか?

157 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/07/28(月) 21:28:25 ID:Gjtr6MEm
>>148 おぬしは仏教より、病の不安に苦しんでいるようじゃのう。

 病と、病の不安は違うものじゃ。
 その二つを観察するのじゃ。
 病があり、病によって死ぬのではないかと不安が生じると観察するのじゃ。
 病があり、病によって将来はどうなるのかという不安があると観察する。
 病があり、病によって周囲に迷惑をかけて心苦しいという思いがあると観察する。
 病があり、病によっていろいろな不安などの思いが生じていると、観察する。

 そのように観察すれば、不安は厭離出来るじゃろう。