なんでも避難所 2018/12/31(月)

479 素人A :2018/12/31(月) 09:21:33 ID:gOqWUDAs0>>482
年末だけど太陽は明日からも同じ様に一日一年繰り返すのか
如来いや未来が存在しないぶら不満は無数の過去の思いでのDVD繰り返し
視るだけしか許されていなかつたりして いま過去に手を出し作り変えようと
すると物発生しびっくりバーンと宇宙が起きてしまい?てたらめだあ的は外れた
さあまあよいかこたえなんて 来年は知ん寝ん

480 避難民のマジレスさん :2018/12/31(月) 14:47:45 ID:LC3de7YgO>>482
>>476
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】(つづき)

 質問者 どうして私は自分自身をそんなにも不幸だと想像してしまうのでし
 ょうか?
 マハラジ
 ただの習慣からなのだ。
 あなたの考え方や感じ方を変えなさい。
 それらを再検討し、詳細に調べてみなさい。
 あなたは不注意によって束縛される。
 注意が解放するのだ。
 あなたはあまりにも多くのことを当然のこととして受け取ってきた。
 疑いはじめなさい。
 もっとも明らかなことは、もっとも疑わしいのだ。
 あなた自身にこのように問いかけてみるといい。
「私は本当に生まれたのだろうか?」
「私とは本当にこれなのだろうか?」
「私が存在すると、どのようにして知るのだろうか?」
「誰が私の親なのだ ろうか?」
「彼らが私を創造したのか、それとも私が彼らを創造したのだろうか?」
「私自身に関して言われたことを、すべて信じなければならないのだろうか?」
「私とは誰なのか?」と。
 あなたはあなた自身のための牢獄を築くことに、たいへんなエネルギーをつ
 ぎこんできた。
 今、それを破壊するためにできるかぎりを費やしなさい。
 事実、破壊することはたやすい。
 なぜなら、偽物は発見されたそのときに消え去るからだ。
 すべては「私は在る」という想念にかかっている。
 それを徹底的に調べるがいい。
 それはあらゆる困難の根底に存在している。
 それはあなたを実在から分かつ皮のようなものだ。
 実在は皮の内側にも外側にもある。
 しかし、皮そのものは実在ではないのだ。
 この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
 あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
 それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
 それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
 それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
 そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。
 「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。
 私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。
 「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

481 避難民のマジレスさん :2018/12/31(月) 19:17:02 ID:LC3de7YgO>>482
>>480
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】(つづき)

  質問者 どうすれば「私」という感覚から自由になれるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたがそれから自由になりたいのなら「私」という感覚と向き合わな
 ければならない。
 あなたが明確にそれを見て完全に理解するまで、それが作用しているときや、
 落ち着いているときを見守りなさい。
 それがどのようにはじまり、どのように停止し、何を欲しがり、どのように
 それを得るのかを見なさい。
 結局、すべてのヨーガは、その源が何であれ、性質が何であれ、目的はただ
 ひとつだ。
 分離された存在という不幸から、広大な美しい絵の中の無意味な点としての
 存在から、あなたを救い出すことにあるのだ。
 あなたが苦しむのは、あなた自身を実在から疎外したからだ。
 そして今、あなたはこの疎外感からの逃避を探し求めている。
 あなた自身の強迫観念から逃げることはできない。
 ただ、それを育むのをやめることができるだけだ。
 「私は在る」は偽りだからこそ、それは存続を願う。
 実在は存続する必要がない――それ自身、破壊不可能なことを知っているか
 らだ。
 それは形態とその表現の破壊に無関心なのだ。
 「私は在る」を強調し安定させようと、私たちはありとあらゆることをする
 が――すべては無駄に終わってしまう。
 なぜなら、「私は在る」は瞬間から瞬間へと再構築されていくものだからだ。
 それは絶え間ない仕事なのだ。
 そして唯一の革新的な解決法は、「私はあれであり、これである」という分
 離した感覚を永遠に消し去ることだ。
 存在は残る。
 だが、自己存在ではない。
 質問者 私には明確な霊的野心があり
ます。それを満たすために努力しなけ
 ればならないのではありませんか?
 マハラジ
 いかなる野心も霊的なものではありえない。
 すべての野心は「私は在る」のためのものなのだ。
 もしあなたが本当の進展を遂げたいのなら、すべての個人的な達成という考
 えは、あきらめなければならない。
 いわゆるヨーギの野心というものは、実にばかげたものだ。
 男性の女性に対する欲望は、永遠の個人的な至福を渇望することに比べれば
 純真なものだ。
 マインドとは詐欺師なのだ。
 より敬虔(けいけん)に見えるほど、裏切りはさらに悪いものとなるだろう。
 質問者 ひっきりなしに、人びとは世間の悩みごとをかかえてあなたのもと
 へやってきます。あなたはいったいどのようにして、彼らに何を言
 うかを知るのでしょうか?
 マハラジ
 ただその瞬間、私のマインドに現れたことを告げるだけだ。
 私には人びとに対応するための企画化
された手順といったものはない。
 質問者 あなたはあなた自身に確信をもっています。しかし、私のもとに人
 びとが来るとき、どのようにして私の助言が正しいものだと確信で
 きるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがどの状態のなかにいるのか、どのレベルで話しているのかを見なさ
 い。
 もしあなたがマインドから話しているなら、間違っているかもしれない。
 あなたの精神的習慣が停止しており、状況への完全な洞察から話しているの
 ならば、あなたの助言は本物の返答かもしれない。
 要点は、あなたも、あなたの前にいる人も、ともに単なる身体ではないと完
 全に気づいていることだ。
 もしあなたの気づきが明晰(めいせき)で完全ならば、間違いはありえない。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

482 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/31(月) 23:02:42 ID:1d4drIFg0
全ての苦は自分があるという観念から起こるのじゃ。
それが無明とお釈迦様は説いたのじゃ。
自分があるという観念がある時、全ての苦は起こり、それがなければ゜苦は無いのじゃ。
それを観察して悟りに至るのじゃ。

なんでも避難所 2018/12/31(月)

82 龍氣 :2018/12/31(月) 17:55:02 ID:cVgUA7Co0>>88
鬼和尚、答えてはいけない質問だったら答えないでください。
公案集をながめていたのですが、もしや禅は
1.弟子がかなり知恵にすぐれており、心身ともに健康であること
2.師匠が仏であること、サマーディのレベルではとてもではないが扱えるものではない
これが前提としてあって初めて機能するものではないでしょうか。
よいお年を、きっと来年は良い年です。

83 避難民のマジレスさん :2018/12/31(月) 19:08:08 ID:Gz5jAFjc0>>88
鬼和尚さん

今年もいろいろ教えてくださってありがとうございました。
鬼和尚さんのおかげでまた進むことができました。
来年もがんばります。
よろしくお願いします。

鬼和尚さんも、これからも健康に気をつけて元気に過ごしてくださいm(__)m

84 避難民のマジレスさん :2018/12/31(月) 20:04:07 ID:h5P9mv0k0>>88
鬼和尚のブログやこのスレッドなどで、人数は少ないかもしれませんが
修行者や質問者とのコミュニティが形成されてるとおもうんですけど、
苦や悩みを滅するためにコミュニティが役に立つと思えばどんどん利用してもいいですか?

このような人間関係は役に立つから必要だと言えますか?

85 避難民のマジレスさん :2018/12/31(月) 20:38:49 ID:9QDLt3zE0>>88
鬼和尚さま

質問お願いします。
義母と一緒にいると疲れるので関わりたくないのですが、向こうは同居を望んでいて何かと干渉したがるのですが、関わらないでくれと念じていれば、同居も干渉も無くなりますか?
また、他に方法はありますか?

最近、真剣にこうなってほしいと思うと、ただの偶然かもしれませんが叶うことが多く、本気で思ったことは叶うものなのでしょうか?
例えば、宝くじの一等当たれ、など自分の努力ではどうにもならないことも叶うのでしょうか?

88 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/31(月) 22:23:07 ID:1d4drIFg0
>>82 そうじゃ、師匠が目覚めていなければ意味は無いのじゃ。
 弟子もかなり修行しているか、既に悟っているようでなければ無意味なのじゃ。
 どちらも何の境地にも達していないならばただのクイズごっこなのじゃ。
 おぬしも好いお年をなのじゃ。

>>83 おぬしも好いお年をなのじゃ。
 気をつけて頑張ると善いのじゃ。

>>84 そうじゃ、利用したら善いのじゃ。
 必要といえるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>85 念じているだけでは無理なのじゃ。
 はっきり言うとよいのじゃ。
 悟った人が同居はいかんといったとかいうとよいのじゃ。
 同居はいかん、今言ったのじゃ。

 強い願望があればそれもまたかなうこともあるじゃろう。
 心の中に強い願望があれば体が自然にその叶う道を選ぶのじゃ。
 当たりやすい番号を選ぶとかのう。
 いろいろ試すと善いのじゃ。

人生相談板 2018/12/31(月)

244 :マジレスさん:2018/12/31(月) 13:26:17.10 ID:cSA03W51.net>>261
お金持ちになりたいの

246 :マジレスさん:2018/12/31(月) 16:02:38.51 ID:cSA03W51.net>>261
お か ね も ち に な り た い で す 。

261 :鬼和尚 :2018/12/31(月) 22:02:28.45 ID:JD8M4urt.net
>>244 >>246 金を生んでくれる資産を手に入れてどんどん増やすと善いのじゃ。
 そうすれば金持ちになれるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

生活全般板 2018/12/31(月)

787 :おさかなくわえた名無しさん:2018/12/31(月) 18:51:17.08 ID:axc41YYS.net>>792
若い頃、とにかく無気力で貴重な青春時代をドブに捨てたような暮らしをしていました。
人間関係がうまく作れないタイプで、親兄弟や同級生から攻撃を受けてばかりでした。
勉強も身が入らず、友達も少なくて将来に希望もなかった。
なんにも好きな事がなかったし恋人もいないし、ただ惰性で生きてたダメ人間でした。

今はそんな過去よりかは幾分マシな生活をしています。
安月給ですがちゃんと稼いで自立して生活しているつもりです。
それでも世の中に対して何も期待できない、夢も希望も抱けない感覚にとらわれています。
仕事は平凡でやはり人間関係は上手くいかず。惰性で生きている感覚は依然として続いてます。
基本的に何をしても虚しさが募るばかりです。
もう若くないし貯金も寿命もじりじりと減っていく恐怖と不安の日々です。

惰性で生きるのやめたいけど、熱くなれるような目標が何もない。
一体、何をしたらいいですか?どうやったら虚無感を感じずに生きれますか?

792 :鬼和尚 :2018/12/31(月) 22:00:35.97 ID:RmsOyWmn.net
>>787 そのような自分を変える事を目標にすれば善いのじゃ。
 わしはいつもやる気満々じゃとか、情熱の塊じゃとか常に唱えると善いのじゃ。
 常に唱えればそれが潜在意識に染み込むのじゃ。
 そして何の意識もしなくともその通りに生きられるようになるのじゃ。
 実践してみるとよいのじゃ。

生活全般板 2018/12/31(月)

784 :おさかなくわえた名無しさん:2018/12/31(月) 16:27:50.23 ID:hUbsWJ53.net>>791
ネガティブ思考を治すことは出来ますか?
瞑想で不動心を身に付けスルースキルを磨くしかないでしょうか?

私は「よくそんな事を思い付くね」と言われる程ネガティブ思考です。
体調が悪いと悪化し、それが真実であるかのように感じて、冷静な思考でセーブ出来ない時があります。
わざと思考しているのではなく、反応としてネガティブなイメージが自動的に浮かんでしまうので、自分ではどうしようもないです。

ネガティブ思考で苦しむのは、まさに自縄自縛、自分で地獄を作り出している状態そのものですか?
何も無いところで自分の思考で空想の化け物を作り出して怯えて周りに攻撃になっている、そんな状況のようです。
これは仏教でいう地獄界にいるということで、これもまた自分の今までの報いなのでしょうか?

瞑想でスルースキルを磨き、自分で作り出した恐れの妄想に耐え、恐れで傷ついても他人を非難することなく、
そのように耐え忍んで行くしかないのかな、と最近思います。

791 :鬼和尚 :2018/12/31(月) 21:58:23.40 ID:RmsOyWmn.net
>>784 できるのじゃ。
 それもまた心の中に原因があるから自動的になされるのじゃ。
 親がそのような者であったとか、何か罪悪感があるとかのう。
 そのような原因から思考が起こり、、原因が無い時には起こらないことを観察するのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

なんでも避難所 2018/12/31(月)

77 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 23:38:35 ID:U1Dvy0k20>>87
そう言う分かりやすい原因って本当にあるかな?
単なる習慣と快楽の条件付けじゃないですかね。
例えばセックス依存は、何か幼少期のトラウマとかじゃなく、セックス自体が気持ち良いからじゃないかな?過去の記憶に原因が無い依存の場合はどうしたら改善するでしょうか?

78 避難民のマジレスさん :2018/12/31(月) 00:31:12 ID:.gfIygLQ0>>87
鬼和尚様

昨日も私の質問に答えてくださり本当にありがとうございます。私は他人のいいなりになって自分が嫌な思いをして他人から喜ばれたりありがとうと言われたりするよりは他人の頼みを断りたいと思っているのを観察しました。他人のいいなりになって自分が利用されるのを許して他人から喜ばれるのと自分の気持ちを優先して断るのはどっちが良いのでしょうか?それともどちらも大切なのでしょうか

79 避難民のマジレスさん :2018/12/31(月) 12:50:25 ID:.gfIygLQ0>>87
鬼和尚様

ボーディダルマは面壁九年と言いますが止観の止しかやってないように見受けられますが

81 避難民のマジレスさん :2018/12/31(月) 17:54:19 ID:FgQjjexI0>>87
鬼和尚様

延命十句観音経を唱えたり念じたりしていて感じたことですが、
経を唱えてるだけでも献身の道に近いことになるのでしょうか。

やはり何か、その献身の対象が目的としている善事か何かを
一つくらいはやったほうが良いのでしょうか。

どうぞよろしくお願いいたします。

87 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/31(月) 21:55:14 ID:1d4drIFg0
>>77 性交も子孫を残すための手段に過ぎないものじゃ。
 過度に行えば疲労や虚しさや肉体の損耗があるものじゃ。
 それに強く依存するのは心に原因があるからなのじゃ。
 顔を洗うとさっぱりして気持ちよいが、それを日に何度も何度も繰り返すのはおかしいのじゃ。
 心の中に原因がない限り、依存は起こらないのじゃ。
 過去の記憶でなければ今の環境とか人間関係とかに逃避をする原因があるかもしれん。
 それを探すと善いのじゃ。

>>78 断ると善いのじゃ。
 それは善事ではないからのう。
 他人から頼まれて断れないだけなのじゃ。
 慈悲の心から行うのが善事なのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>79 そうかもしれん。
 ヨーガスートラにもサマーディのみで悟りに至る法が書いて在るのじゃ。
 止観よりも難しくなるがのう。
 無理ではないのじゃ。
 
>>81 そのように観音とかはっきりとした帰依する対象がある経ならば道になるじゃろう。
 阿弥陀経とかもそうじゃろう。
 環境をよくしたいと思うならば善事もすると善いのじゃ。
 福楽が来るじゃろう。
 献身とは無関係なのじゃ。

なんでも避難所 2018/12/31(月)

174 避難民のマジレスさん :2018/12/29(土) 23:36:12 ID:LC3de7YgO>>183
>>172
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

弟子はアニマになる、ならざるをえない。
というのも、弟子はその全身が耳にならなくてはいけないからだ。
師マスターとは目以外の何ものでもなく、弟子とは耳以外の何ものでもない。
師は見なければならない。
あなたの最も深いところを見なければならない。
師はあなたのまさに中核を貫かなければならない。
そして弟子は耳をそばだて、意識を配り、いつでも応じられる姿勢でいて、み
ずからの内奥の中核に師が触れるのを許さなければならない。
弟子は女性的になる。
女性がこの世で一番の弟子になるのはそのためだ。
男は弟子になることが少々むずかしい。
弟子になるとしても、ためらいながらなる。
彼は抵抗し、闘い、疑う。
男はなんとか逃れようとして様々な手練手管を弄する。
逃れられないとなると、仕方なく力を緩める—が、仕方なくだ。
女性は喜びに満ちてジャンプする。
最もすぐれた弟子というのはいつも女性だった。
その比率はいつも同じで変わらない。
弟子が五人いれば、ひとりは男で、四人は女だ。
比率はいつもそうだった。
マハーヴィーラの場合もそうだったし、仏陀の場合もそうだったし、私の場合
もそうだ。
その比率はいつも同じだ。
男は、女性というのは目をうるませて、すぐに催眠術にかかり、暗示に落ちや
すいものだと思っている。
それは男たちの側からの非難だ。
男は、自分は催眠術になどかかるはずがないと思っている。
女というのは喜んで催眠術にかかるものだと思っている。
それはある意味では正しいが、ある意味では間違っている。
女は蛇に出会うと、蛇にそそのかされてしまう。
女は仏陀のような人に出会うと、改心させられてしまう。
確かに女性は暗示に弱い。
すべては彼女が誰と出会うかにかかっている。
男は蛇の言葉に耳を傾けても、それで心変わりをしたりはしない。
蛇の手に落ちることはない。
だが、一方で男は仏陀を聴きに来ても、やはり心を入れ替えることはない。
そうして男は救いを逃してしまう。

それゆえに、光を巡らせることで魂アニムスの集中が起こり、そのようにして
精神が保持され、魄アニマは克服される。(´・(ェ)・`)
(つづく)

175 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 10:26:43 ID:LC3de7YgO>>183
>>174
うむ、ついに第三話のクライマックス「光を巡らす」技法に突入であります。
OSHOは焦らして話を盛り上げる天才でありますね。
>>138
>暗く沈み込み、みずからの肉体の形に幽閉されている者はみな、魄アニマに束縛されている。
それゆえに、光を巡らせることで魂アニムスの集中が起こり、 そのようにして
精神が保持され、魄アニマは克服される。
この世を超脱するために古人が用いた技法は、純粋に創造的なものに還るため
に暗黒の滓カスをすべて溶かし尽くす。
これは魄アニマの力を削ぎ落とし、魂アニムスの力を完全にすることに他なら
ない。
光を巡らせることは、暗黒を縮小させ、魄アニマを制する力を獲得する秘術で
ある。
この技法に従うなら、種子の水はおのずから豊かになり、精神の火は燃えあが
り、思考の土は固まり結晶化するだろう。
このようにして聖なる果実は熟す。

(´・(∀)・`)つ
ワクワクドキドキくまである。

176 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 10:39:04 ID:LC3de7YgO>>183
>>174
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

光が目のなかで循環しなければならない。
目はあなたの存在のなかで最も光に
満ちた部分だ。
道家の人々は、人の目は太陽に似ていると言う。
目がなければ光を見ることはできない。
そして、似たものだけが似たものを見ることができる。
人の目は凝縮された光だ。
目を通して光を見ることができるのはそのためだ。
人の耳は凝縮された音だ。
耳を通して聞くことができるのはそのためだ。
男であれ女であれ、すべての人のなかにあるアニマを克服しなければならない。
なぜか?それはアニマが形であり、肉体であり、物質だからだ。
精神が主人にならなければいけない。
精神が肉体の上に君臨しなければいけない。
精神が肉体を従わさせなければいけないのであって、その逆ではだめだ。
だから、男であろうと女であろうと関係ない。
内なるアニマをアニムスに従属させなければならない。
なぜなら、アニムスのみが探求し、探索することができるからだ。
そして女性が後からついてくるなら、アニムスは実在の奥底まで分け入ってゆ
くことができる。
詩人が、背後に女性がついていて、自分を支えてくれていることを知っている
なら、彼の詩は高く高く舞い上がることができる。
女性がいつもそばにいてくれることがわかると、男はじつに逞しくなる。
彼はどんな冒険にもおもむくことができる。
女性がそばにいてくれないと感じるやいなや、彼は気力を失ってしまう。
今や彼には夢しかない。
が、その夢は無力だ。
その夢にはもはやエネルギーがなく、実現されえない。
ものを実現させる力は女性にある。
夢見る力は男にある。
神、あるいは真理の探究においては、男が先頭に立ち、女が従わなければなら
ない。
あなたの内側では、アニムスが師になり、アニマが弟子にならなければいけな
い。
そして、もう一度くり返すが、あなたが男であるか女であるかは関係ない。
この世を超越するために古人が用いた技法は、純粋に創造的なものに還るために
暗黒の滓カスをすべて溶かし尽くす。
女性はおとなしく、男性は活発だ。
女性がしっかりと落ち着いているように見え、男性がひじょうに落ち着きなく
見えるのはそのためだ。
子供であっても、ほんの小さな子供、赤ん坊であっても、その違いがある。
男の赤ちゃんはひじょうに落ち着きがない。これをつかもうあれをつかもう、
手を伸ばして何かに触れようとしている、手のかかるやんちゃ坊主だ。
女の赤ん坊はけっして手がかからない。
彼女は黙って座り、人形を抱いている 。
彼女もまた人形だ。このうえもなく落ち着
いている・・・ 落ち着きという原理
は女性的であり、落ち着きのなさという原理は男性的だ。
女性がまろやかで美しく、男性が絶えず熱を帯びているのはそのためだ。
だが、成長するためには落ち着きのなさという原理が必要になる。
なぜなら、成長とは変化を意味するからだ。
(´・(ェ)・`;)
(つづく)

177 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 13:28:13 ID:LC3de7YgO>>183
>>176
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

女性は基本的に古い型を守ろうとし、男性は基本的に古い型を破ろうとする 。
女性はつねに現状を支持するが、男性はたとえ愚かな革命であっても はじめよ
うと待ち構えている。
変化してゆくものなら、何でも男は支持 する。
状況が良くなろうが、悪くなろうが、それは大したことではない。
変 わ る こ と が 善 なのだ。
女性はいつも古いもの、確立されたもの を支持する。
それが良いか悪いかは問題ではない。
「いつもそうだったのだから、そうあるべきよ」というわけだ。
成長するためには、あなたの内にあるよどみの原理が溶け去る必要がある。
あなたの内なる女性は凍りついている。
あなたが川になれるよう、その女性を溶かさなければならない。
だが、川はまた両岸の力も借りなければならない— 岸辺は動かないことを覚
えておきなさい。
もし両岸がなかったら、川はけっして大海にたどり着けない。
そして水が凍っていたら、川はけっして大海にたどり着けない。
だから川は溶けて水にならなければならないが、 それでも動かない岸辺の力を
借りなければならない。
完全な人間というのは、みずからの活動的な側面を川として 使い、みずからの
静的な側面を岸辺として使う者をいう。
それが完全なバランスだ。
そうなったら、あなたは成長するために アニムスを使い、その成長をつかのま
の現象ではなく、 確たるものにするためにアニマを使ったことになる。
これは魄アニマの力を削ぎ落とし、魂アニムスの力を完全にすることに他なら
ない。
だがふつうは、男であれ女であれ、誰もが動きを止めている。
男たちですらきわめて保守的だ。
キリスト教徒、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、ジャイナ教徒—男たちですら
きわめて保守的になる。
彼らはみずからのアニマの犠牲になっている。
彼らのアニムスは征服されてしまっている。
それは解き放たれねばならない。
私のここでの努力はそれに尽きる—あなたのアニムスをアニマの支配から解き
放つこと。
ひとたびアニムスがアニマの支配から解き放たれたなら、私たちはアニマをも
使うことができる。
だが、まずは解き放たれることが先だ。
私がしきりに動的な瞑想の技法を勧めるのはそのためだ。
ごくまれに坐禅やヴィパッサナをするよう勧めることがあるが、それはその人
のアニムスが流れているのがわかるときだけだ。
今や彼らはアニマを使うことができる。
ヴィパッサナや坐禅はアニマの技法、女性的な技法だ。
スーフィ・ダンス、ダイナミック瞑想、ナタラジはアニムスの技法だ。
まず最初は川にならなければいけない。
そうしてはじめて岸辺を支えとして使うことができる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

178 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 13:39:23 ID:LC3de7YgO>>183
>>177
> 成長するためには、あなたの内にあるよどみの原理が溶け去る必要がある。
> だが、川はまた両岸の力も借りなければならない
> もし両岸がなかったら、川はけっして大海にたどり着けない。
>水が凍っていたら、川はけっして大海にたどり着けない。
> だから川は溶けて水にならなければならないが、 それでも動かない岸辺の力を
借りなければならない。
>あなたのアニムスをアニマの支配から解き放つこと。
ひとたびアニムスがアニマの支配から解き放たれたなら、私たちはアニマをも
使うことができる。

↑これは、「巡らす」の部分の前ふり説明でありますね。
はてさて、肝心要の「光」の話に突入であります。
(´・(∀)・`)つ

179 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 14:06:52 ID:LC3de7YgO>>183
>>177
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

光を巡らせることは、暗黒を収縮させ、魄アニマを制する力を獲得する秘術で
ある。
この技法に従うなら、種子の水はおのずから豊かになり、精神の火は燃えあが
り、思考の土は固まり結晶化するだろう。
このようにして聖なる果実は熟す。

聖なる果実は男性でもなく女性でもない。
聖なる果実は<全体なるもの>とし
てのみ熟す。
アニマとアニムスが鳥の二つの翼のように互いを支え合うとき、エロスが解き
放たれ、ロゴスが解き放たれ、直観が解き放たれる。
そうなったら、あなたは大空へと飛翔するようになり、同時に大地に根を下ろ
してもいる。
樹は空高くそびえるために、大地に深く根を張らなければならない。
大地はアニマで、空はアニムスだ。
空に向かって高く伸びれば伸びるほど、それと同じだけ深く大地に根を張って
ゆかなければならない。

魂アニムスは天上のこころハート—第三の目のなか—に住む。
それは光の性質を有している。
それは軽く、清らかなものの力である。
それは我々が大いなる虚空—大いなる空ソラ—から得てきたものであり、原初
の始まりと同じ形をしている。

魄アニマは暗黒の本性を有している。
女性が神秘的なのはそのためだ。

その神秘のベールを剥はぐことができた男性はいない。
その両方の性を超えたとき、ひとりの覚者ブッダになったとき、はじめて人は
男女両性の神秘を知ることができる。
そうならずして女性の深みを推し量りえた男はいない。
女性は神秘的で、暗く、闇夜のままであり続けている。
はっきりとは見えない、せいぜい手探りすることしかできない。
女性を明晰な論理でとらえることはけっしてできない。
彼女はけっして論理には従わない。
彼女の道は曲がりくねっている。
彼女はプロセスをまったく経ずに、ただちに結論へと飛び移る。
男性は一歩一歩プロセスを踏みしめてゆく。
彼は着実に手順を踏んでゆく。
女性は直観的だという意味では詩人だ。
彼女は詩などつくらないかもしれない—彼女は一編の詩もつくらない詩人だ。
彼女にとっては生そのものが詩だ。
そしてその生は詩と同じように暗い。
神秘的で、漠然としていて、曖昧だ。
何ひとつ明晰ではない。
何ひとつ明晰ではありえない。
女性の神秘を剥ぎとることはできない。
彼女はいつも疑問符のままだ。
男は光のように明晰だ。
男が浅薄に見え、女が深遠に見えるのはそのためだ。
男がまったく表面的に見えるのはそのためだ。
男のことなら何でも知ることができる。
どんな男かわかれば、彼の未来を予測す
ることができる。
だが、女性の未来はけっして予測できない。
彼女はどこまでいっても 予測しえず、それゆえに暗闇のように見える。
これらはみな隠喩だ。
それは重く、濁ったものの力である。
そして女、女性的な原理は、あなたを大地につなぎとめておく。
それは重力だ。
それは物質的な肉体の心臓ハートに縛りつけられている。
魂アニムスは生を愛し、 魄アニマは死を探し求める。
女性は生よりも死に似ている。
気分を害さないように。
これはただの形容にすぎない。
もし「アニマ」や「アニムス」、「男」や「女」という言葉に引っかかるなら
、それを「X」と「Y」に置き換えればいい。
だが、『黄金の華の秘密』がやっているのはまさにそれだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

180 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 14:16:34 ID:LC3de7YgO>>183
>>179
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋


これらは譬たとえにすぎない。それらを人間の姿になぞらえることで理解を助
けているにちがいない。
男は生に関心を寄せ、女は安定に関心を寄せる。
男は愛に関心を寄せ、女は身の安全に関心を寄せる。
男は冒険に関心を寄せ、女は快適さ、便利さに関心を寄せる。
女性は死だ。
「死」という言葉には何の非難もこめられていない。
死の特質は安定していることにあるというだけの話だ。
人は死んでようやく安定する。
消えてようやく人は安定する。
そうなったら、あなたの身には二度と何も起こらなくなる。
だが男は探し求め、探求し、危険を冒したい。
だからこそ夫は別の女性を探し続け、妻は夫を見張り続けることになる。
どうして夫がいまだに別の女性に興味をもち続けるのか妻にはわからない—
「私がここにいるのよ!」。
だが、男性原理はいつも新しいもの、刺激を与えてくれるもの、胸をときめか
す新しい快感に興味をそそられてゆく。
ときには美人の妻をもちながら、さえない女性と遊びはじめる男もいる。
誰が見ても腑に落ちない—どうなっているのだろう?
「あんなにすてきな女性がいるのに、君は何をしているんだい?」
だが、あなたは男性原理というものを理解していない。
男性原理は基本的に一夫多妻制であり、女性原理は一夫一婦制だ。
彼女は愛よりも結婚に興味がある。
彼女はただ結婚するために恋に興味をもつ。
そして男はただ恋に興味をもつがゆえに結婚する。
「男がみんな結婚せず、女がみんな結婚していたら、世界はこのうえもなく喜
びに満ちていただろう」という古い諺ことわざがある。
だが、それをどうやって実現するのだろう?そんなことは不可能だ。

魂アニムスは生を愛し、魄アニマは死を探し求める。
すべての感覚的欲望と怒りの衝動は魄アニマの作用である。
だが、学人が暗い魄アニマを完全に蒸留してしまえば、それは純粋な光に変容
する。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

181 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 14:21:06 ID:LC3de7YgO>>183
>>180
うむ。
流石のくまも気付いたのである。
OSHOは、この第三話で「光」の話はしないつもりなのである。
うむ。
OSHOはお話の天才である。
後、ちょぴっとで第三話は終わるので、載せてしまうのである。
(´・(ェ)・`)つ

182 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 14:31:51 ID:LC3de7YgO>>183
>>180
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

煉丹術は、男女それぞれの内にあるこの二つの原理を理解し、内側の暗い側面
であるアニマを明るいものへと変容させることにある。
暗い部分が動くのを助け、それが明るい部分に手を貸し、それと闘わないよう
にさせることにある。
アニマがアニムスに手を貸すことができるなら、それが真の結婚、内なる結婚
だ。
そうなったら、あなたはまとまりはじめる。
あなたの光はもはや浅薄ではなく、暗闇の深さをそなえるようになる。
あなたの暗闇はもはや暗くなく、軽やかな光をおびるようになる。
アニマとアニムスは互いに溶け合う。
そしてそれらが完全に溶けると、世界は消え失せ、あなたは再びひとつになっ
ている。
ひとつになることが神を知ることだ。
二つのままでいることは世間にとどまることだ。
そして、その秘法、その実験はあなたの内側で起こらなければならない。
それは外の世界とはいっさい関係がない。
あなたの内側では、この二つの原理が絶えず争っている。
それらを「生/死」「明/暗」「男/女」「X/Y」―何と呼んでもいいが、この二つ
の原理がそこにあって、絶えず争っている。
それがあなたの苦悶であり、あなたの惨めさであり、あなたの地獄だ。
この二つの原理を和解させなさい。
あなたのエネルギーをそれらのなかで巡らせて、互いに反発させるのではなく
、互いに近付けさせなさい。
男と女のあいだに内なるオルガスムを、内なる交合を起こさせなさい。
それこそがタントラで「ユガナッダ」―内なる男と女の出会い―と呼ばれてい
るものだ。
それが真のタントラだ。
外側での男と女の出会いは序曲にすぎない。
スッダがタントラ・グループをリードしている。
それは序曲にすぎない。
真のタントラはまだはじまっていない。
彼女はまさにあなたがたの下地を整えている。
私が今やあなたがたは内側に入って、そこで内なる男女と出会う用意が整って
いると見なしたら、まもなく真のタントラ・グループが始まる。
外界への関心がもはやあなたを外につなぎとめておくほど強くなく、もはやあ
なたをそれほど縛りつけていず、鎖が切れていると見なしたら、そのときには
真のタントラ・グループがはじまる。
私は新しいコミューンが誕生するのを待っている。
なぜなら、新しいタントラ・グループにはまったく異なる風土、まったく異な
る環境が必要になるからだ。
これは人間が体験しうる最大の実験だ。そしてこの実験は、あなたの内に宇宙
的なエクスタシー、完全なオルガズムを解き放つだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

183 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/31(月) 00:21:51 ID:1d4drIFg0
アニマとかアニムスとは陰陽の気なのじゃ。
光を巡らして行けば陽気が集まり強化されるのじゃ。
それによって陰気もコントロールできるようになるのじゃ。
陰陽両方が合致して大極になるのじゃ。
その象徴が大極のマークなのじゃ。

なんでも避難所 2018/12/31(月)

475 避難民のマジレスさん :2018/12/29(土) 23:23:30 ID:LC3de7YgO>>478
>>472
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】

 質問者 私たちはサティア・サイババ* のアーシュラムにある期間滞在して
 いました。また、ティルヴァンナーマライのラマナアシュラマムで
 も2カ月ほど過ごしました。今、私たちはアメリカへ帰国の途上な
 のです。
  * 訳注 サティア・サイババ Satya Sai Baba (1926)アーンドラ・
      プラディーシュ州の村プッターパルティに生まれる。マハーラー
      シュトラ州の偉大な聖者シルディ・サイババの化身であると自ら
      名乗る。砂糖菓子や花、聖灰を物質化し、遠く離れた弟子の想念
      を読みとるといった奇跡を行なう世界的に有名なグル。
 マハラジ
 インドがあなたに何らかの変化をもたらしただろうか?
 質問者 私たちは重荷を降ろしたかのように感じています。シュリー・サテ
 ィヤ・サイババは、すべてを彼に明け渡し、ただ日々をできるかぎ
 り公正に生きるようにと言われました。「正しく在りなさい。あと
 は私にまかせなさい」と彼は
言いました。
 マハラジ
 シュリー・ラマナアシュラムでは何をしていたのかね?
 質問者 私たちは師から授かったマントラを復唱しつづていました。また瞑
 想もしました。考えることや勉強することはほとんどなく、ただ、
 静かにしているよう心がけていただけです。私たちはバクティ(帰
 依)の道を行く者で、哲学はむしろ知らないのです。私たちには考
 えなければならないことはさほどなく、ただグルを信頼し、人生を
 生きていくだけです。
 マハラジ
 バクタ(帰依者)の多くは、すべてがうまくいっている間はグルを信頼する。
 しかし、問題が起こると彼らは落ちこみ、ほかの師を探しに行くのだ。
 質問者 そうです。その危険性については警告されました。私たちは厳しい
 状況もやさしい状況とともに受け入れていこうと思っています。
 「すべては恩寵(おんちょう)だ」という感情が非常に強くなけれ
 ばなりません。ひとりのサド
ゥ(修行僧)が東に向かって歩いてい
 ると、その方向から強風が吹いてきました。サドゥはただくるりと
 向きを変えて、西に歩き出したのです。私たちもグルによって与え
 られた環境に私たち自身を合わせながら、そのように生きたいと願
 っています。
 マハラジ
 ただ生命だけがある。
 生命を生きる人は誰もいないのだ。
 質問者 それは私たちも理解します。それでもなお、私たちは、ただ生きる
 のではなく、自分たちの人生を生きようとしてしまうのです。未来
 のために計画を立ててしまうことは、私たちにとって根深い習慣な
 のです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

476 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 08:53:04 ID:LC3de7YgO>>478
>>475
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】(つづき)

 マハラジ
 あなたが計画を立てようと立てまいと、人生は続いていくのだ。
 だがその人生において、マインドのなかに小さな渦巻きが現れる。
 それは幻想にふけり、それ自体が人生を支配し、コントロールしていると想
 像するのだ。
 生命そのものは無欲だ。
 だが、偽りの自己はそれが快く続いてほしい。
 そのため、それはつねに自己の継続を守ることに没頭しているのだ。
 生命は恐れず、自由だ。
 あなたが出来事に影響を与えているという考えをもっているかぎり、解放は
 あなたのものではない。
 行為者という観念、自分が出来事の原因であるという観念自体が束縛なのだ。
 質問者 どうすれば、私たちは為(な)す者と為されることという二元性を
 克服できるのでしょうか?
 マハラジ
 生命を無限で、分割不可能な、つねに存在し、つねに活動的なものとして黙
 想しなさい。
 あなたがそれとひとつであると悟るまで。
 それは難しくなどない。
 なぜなら、あなたはただ自分の自然な状態に戻るだけだからだ。
 すべては内側から現れ、あなたの住む世界があなたの上に投影されているの
 ではなく、あなたによって投影されているとひとたび自覚すれば、恐れは終
 焉(しゅうえん)するのだ。
 この自覚なしに、あなたはあなた自身を外界の身体、マインド、社会、国家、
 人類、そして神や至高なるものといったものとさえ同一化してしまう。
 だが、それらはみな恐れからの逃避なのだ。
 あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
 過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
 なるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

477 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 08:58:36 ID:LC3de7YgO>>478
>>476
>生命を無限で、分割不可能な、つねに存在し、つねに活動的なものとして黙
 想しなさい。
 あなたがそれとひとつであると悟るまで。
 それは難しくなどない。
> あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
 過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
 なるのだ。

うむ。これだけでよいのでありますね!
超簡単そうに言ってくれるので、元気が出るのである。
(´・(∀)・`)つ

478 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/31(月) 00:04:27 ID:1d4drIFg0
↑それはブラフマンの法なのじゃ。
全てであるとイメージするのじゃ。
実践してみるとよいのじゃ。

二元性とはものごとを分割して認識する観念なのじゃ。
生と死とか天と地とかのう。
全てが一つとイメージすれば天も地も 一つであると気付くのじゃ。
それがブラフマンの法なのじゃ。