なんでも避難所 2019/03/31(日)

428 避難民のマジレスさん :2019/03/30(土) 23:42:29 ID:LC3de7YgO>>430
>>425
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

山に出かける必要はない――
これは内側にある本当の山を見いだす方法だ。
これは内側にあるヒマラヤを見いだす方法だ。
あなたは深い静けさのなかへと入ってゆく。
すると、すぐそばで聞こえていた騒音が――そこにはひどい混乱があった――
にわかに遠ざかり、後退してゆく。
外の世界はすべてこれまで通りで、何ひとつ変わっていない。
あなたは瞑想をはじめた同じ場所に坐っている。が、瞑想が深まってゆくにつ
れて、それが感じられてくる。
外界の事物とのあいだに距離が生じてくるのが感じられる。
人々の話し声が数百歩も離れたところから響いてくるように聞こえ……まるで
ふいに世界があなたから遠ざかってしまったかのようだ。
あるいはあなたが世界から遠ざかってしまったかのようだ。
だが、ひとつひとつの思考はきわめてはっきりとしている。
外側で語られている言葉はすべてきわめてはっきりしている。
実のところ、かつてなかったほどはっきりしている。
これが瞑想の不思議な働きだ。
あなたは無意識になってゆくのではない。というのも、無意識のときにも騒音
は消えてゆくからだ。
例えば、クロロホルムを嗅がされれば、あなたはこれと同じ現象が起こってゆ
くのを感じるだろう。
騒音がどんどん遠くへ遠くへ遠ざかってゆき……やがて消えてゆく。が、あな
たは無意識になってしまっている。
何ひとつはっきりと聞くことはできない。
瞑想のなかでもまったく同じことが起こるが、違いがある――騒音がどんどん
遠ざかってゆくが、ひとつひとつの音がひじょうにはっきり聞こえてくる。
かつてなかったほどはっきりと聞こえる。
それは目撃者が生まれてきているからだ。
最初はあなたも騒音の一部と化していた。
あなたは騒音のなかに失われていた。
今やあなたは目撃者、観察者であり、あまりに静かなので、あらゆるものをあ
りありと鮮明に見ることができる。騒音は遠くにあるが、かつてなかったほど
鮮明にはっきり聞こえてくる。
瞑想しながら音楽を聴いていると、これが起こる。
まず音楽が遠ざかってゆくのが感じられる。
つつ゛いて、それと同時に、ひとつひとつの音がかつてなかったほど鮮明には
っきり聞こえてくる。
以前は、音と音が混ざり合い、互いに重なり合っていた。
今や、ひとつひとつの音がみな原子のようにきわだっている。
ひとつひとつの音が分離している。
人々の話し声が数百歩も離れたところから響いてくるように聞こえ、 そのひと
つひとつがひじょうに鮮明である。
だが、その音は すべて谷間でこだまが反響するように聞こえる。

そして、三つめのことが感じられる。
音が直接ではなく、間接的に聞こえてくる。
まるで音そのものではなく、こだまのように。
音はだんだん希薄になり、その実体が失われる。
音はだんだん実質をなくし、その物質性が消える。
それらはもはや重くなく、軽い。
その重力のなさを感じることができる――それはこだまのようだ。全存在がこだまのようになる。
ヒンドゥー教の神秘家たちが世界を「マーヤ」――まぼろし――と呼ぶのはそ
のためだ。
「まぼろし」とは非現実という意味ではなく、たんに影やこだまに似ていると
いうことだ。
それは実在しないという意味ではなく、たんに夢に似ているということだ。
影のようであり、夢のようであり、こだまのようだ――そのように感じられる。
それらが現実だとは感じられない。
全存在が夢と化し、ひじょうに鮮明にくっきりと見えるのは、あなたが目を見
張っているからだ。
夢まぼろしのようなのは、あなたが目を見張っているからだ。
最初、あなたは夢のなかに我を忘れていた ――注意を怠り、これが現実だと考
えていた。
あなたは自分の想念マインドに同一化していた。
今はもう想念に同一化することなく、 分離した実体があなたのなかに生まれ
ている ――それが注意深く見守る状態、サクシだ。
いつも聞くことができるのだが、自分自身の声はけっして聞こえない。

そして四つめのことが感じられる。
あなたはまわりにあるすべてのものを聞くことができる――人々が話したり、
歩いたりしている。子供たちが笑っている。誰かが泣いている。
鳥が鳴き、車が通り過ぎる。
飛行機や汽車……あなたはあらゆる音を聞くことができる。
が、ただひとつ例外がある――あなたは自分自身の声を聞くことができない。
あなたは完全に消えてしまっている。
あなたは空からであり、ひとつのスブーティになりつつある。
あなたはもぬけのからだ。
あなたはひとつの実体として自分自身を感じることができない。
あらゆる騒音がそこにあるのに、あなたの内なる騒音だけは消えている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

429 避難民のマジレスさん :2019/03/31(日) 07:23:45 ID:LC3de7YgO>>430
>>428
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

ふつうは外界よりも内界のほうが騒々しい。
本当の混乱はあなたの内側にある。
本当の狂気はそこにある。
そして、外側の狂気と内側の狂気が出会うとき、地獄が生み出される。
外側の狂気はつつ゛いてゆく。
それはあなたがつくりだしたわけではないから、消し去ることはできないが、
内なる狂気は簡単に消し去ることができる。
それはあなたの手の内にある。
内なる狂気が消えてしまえば、
外なる狂気は実体を失う。
それは現実感をすっかり失って、まぼろしになる。
自分の古い声は見つからない。
内側に思考が湧いてこないので、音がない。
これが「神々が谷間にいる」と呼ばれる体験だ。
あなたはからっぽになっている。
あらゆるものが谷の底深くに沈んでゆき、
聞こえてくるのはこだまだけだ。
そして、こだまが聞こえてきても、
あなたはけっして影響を受けることがない。

先日、狂った男がアヌラーダを強姦しようとした。男は強姦未遂でつかまった。
私は、彼女がその事件に影響されたかどうか確かめようとアヌラーダを呼んだ。
ひじょうに嬉しいことに、
彼女はまったく影響されていなかった。
事件はまったく尾を引いていなかった。
瞑想のなかへと成長することの美しさがそこにある。
たとえ殺されても、あなたは影響を受けないままでいる。
さあ、彼女を強姦しようとするのは残忍なことだ。
ひとりのインド人が強姦しようとした。
これがインドの真の姿であることをモラジ・デサイに知らせてやろう。
そして事件はこれ一件だけではない。
それはありふれた出来事になりつつある。
私のサニヤシンが外を歩くのはひじょうに危なくなっている。
この醜いインドは私のインドではない。
この醜いインドはモラジ・デサイやシャラン・シンやアドヴァニやその一党に
属している。
私はこの醜いインドとはまったく関係がない。
だが、もうひとつのインドがある。
覚者ブッダたちのインド、永遠のインドだ。
私はその一部だ。あなたがたはその一部だ。
実のところ、瞑想が起こっている場所ならどこでも、その人はこの永遠のイン
ドの一部になる。
その永遠のインドは地理的なものではなく、霊的な空間だ。
その永遠のインドの一部になることがサニヤシンになることだ。
私は嬉しかった。
このうえもなく嬉しかった。
アヌラーダを見ると、彼女はまったく影響されていないし、恐怖のかけらすら
なく、何もなかった――まるで何事もなかったかのように、まるでその企ては
夢のなかで行なわれたかのように。
人はこのようにしてゆっくり瞑想のなかへ成長してゆく。
あらゆるものが実体を失ってゆく。
人はあらゆるものを見ることができる。
彼女は応戦した。
彼女は勇気があり、どうどうとしていた。
彼女は為すべきことはすべてやった。
彼女は屈服しなかった――が、内なる意識は影響を受けていなかった。

これが「神々が谷間にいる」といわれる体験である。
ときおり次のような体験が起こることがある。
人が静かな状態になるとすぐに、目の光が燃えあがりはじめ、 眼前にあるもの
がすべて明るく輝き、 まるで雲のなかにいるかのように感じられる。
目を開けて身体を探しても、もはやどこにも見つからない。
これが「からっぽの部屋が明るく輝く」という体験である。
内も外も、あらゆるものが等しく輝いている。
これはひじょうによいしるしである。
さあ、第二のしるしは「からっぽの部屋が明るく輝く」と呼ばれている。
からっぽにならないかぎり、あなたは暗いままだ、暗闇のままだ。
「からっぽの部屋が明るく輝く」――
あなたが完全にからっぽであり、
あなたの内側に誰もいないとき、
光が現れる。
自我エゴの存在が闇をつくりだす。
暗闇と自我は同じ意味だ。
無我と光は同じ意味だ。
だから瞑想の技法はすべてみな、どこを目指そうとも、最終的には、あなたの
内なる実存であるこのからっぽの部屋に向かう。
沈黙の空間だけが残され、あなたはその空間に、光源をもたない大いなる光が
現れるのを見る。
それは太陽が昇るときに見える光のようではない。
太陽からやって来る光は永遠のものではありえないからだ。
夜になればそれは再び消え失せる。
またそれは燃料を必要とする光のようではない。
なぜなら、燃料がつきるとその光は消えてしまうからだ。
この光にはひじょうに神秘的な性質がある。
それには源がなく、原因がない。
それは引き起こされるものではない。
それゆえに、この光はひとたび現れると 存続し、けっして消えることがない。
実際、それはすでにそこにある。
それが見えるほどあなたがからっぽでないだけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

430 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/31(日) 22:56:33 ID:1d4drIFg0
インドもなかなか物騒になっているというのじゃ。
時代の転換期なのじゃろう。
インドに目覚めたものが多いのは、病んでいるから医者が多いようなものとオショーも言っていたのじゃ。
しかし、お釈迦様やオショーも生んだインドは永遠の目覚めの光を世界に放っているのじゃ。

人生相談板 2019/03/31(日)

908 :マジレスさん:2019/03/31(日) 05:34:33.33 ID:Sa61AFSb.net>>917
鬼和尚、警察も法務局も助けてくれない
下記↓のような被害にあった場合どう対処すればいいか教えてください




所有している倉庫が見知らぬショベルカーに破壊されていた
https://gigazine.net/news/20190329-gigazine-destruction/

今回は偶然、解体中の現場に居合わせたので止めることができたのですが、地上げ行為の手順としては以下のようになります。

・勝手に家屋をショベルカーなどで破壊して解体して更地にする

・「滅失登記の申出」を行う

・うまくいけば登記簿の名義を書き換えることができる。名義を書き換えることができなくても家屋自体は破壊できる。

・あとは好きなように土地活用を行う

実際に誰かが住んでいる家屋であればともかく、今回のような「倉庫」だと中に誰もいないし、誰も見張っていない時間帯が発生するため、
「勝手に破壊する」ということが可能になるわけです。そして破壊してしまえばもう元に戻すことはできないので、「滅失登記の申出」すら可能
になるので完璧な乗っ取りができる可能性も狙える、ということになります。

917 :鬼和尚 :2019/03/31(日) 22:51:46.00 ID:lTe0cbW2.net
>>908 やはり建造物破壊で警察に告発するしかないじゃろう。
 更に民事で賠償請求するのじゃ。
 いきなり破壊されているのであるから精神的な苦痛もいれて高額請求するとよいのじゃ。
 災いを転じて福と為すのじゃ。

なんでも避難所 2019/03/31(日)

750 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/30(土) 22:40:06 ID:1d4drIFg0>>755
>>746 悟れば個我としての記憶は全て観られるのじゃ。
 それが宿命通と呼ばれるものじゃ。
  記憶は思い出すことが出来るのじゃ。
 それを現実として扱うことは無いのじゃ。

752 避難民のマジレスさん :2019/03/30(土) 23:58:33 ID:LC3de7YgO>>755
>>748
『I AM THAT 私は在る』
【90 あなたの真我に明け渡しなさい】(つづき)

 質問者 マインドを超えた彼方には沈黙があります。それについては何も言
     えることはありません。
 マハラジ
 そうだ。
 沈黙についての話は、みな騒音にすぎない。
 質問者 どうして私たちは自己の自然な幸福を体験した後でさえ、世俗的な
    幸福を探し求めようとしてしまうのでしょうか?
 マハラジ
 マインドが身体に仕えることに従事するとき、幸福は失われてしまう。
 幸福をふたたび得ようとして、快楽の中に探し求めるのだ。
 幸福になろうとする衝動は正しいものだ。
 だが、それを確保しようとする方法が惑わせ、当てにならず、真の幸福を破
 壊してしまうのだ。
 質問者 快楽はつねに悪いことなのでしょうか?
 マハラジ
 身体やマインドを正しく使い、正しい状態に置くことは、非常に快いものだ。
 間違いは快楽を追求することなのだ。
 自分を幸福にしようと試みてはならない。
 むしろ、幸福の探求自体を疑いなさい。
 あなたが幸福でないから、幸福になりたいのだ。
 なぜ幸福ではないのかを見いだしなさい。
 幸福ではないから、快楽のなかに幸福を探し求めるのだ。
 快楽は苦痛をもたらすため、あなたはそれを世俗的と呼ぶ。
 それから、あなたは苦痛をともなわない、何かほかの快楽を切望する。
 そして、それを神聖なものと呼ぶのだ。
 実際には、快楽とは苦痛からの一時的な休息にすぎない。
 幸福は世俗的であるものと、ないものの両方だ。
 そのなかで、そしてその彼方で起こることのすべてなのだ。
 いかなる分別もしてはならない。
 分別できないものを分別してはならない。
 そしてあなた自身を人生から遠ざけてはならない。
 質問者 今、私はなんと良くあなたを理解したことでしょう! 以前、ラマ
     ナアシュラムにいたときは、私は良心に支配され、いつも自分自身
     を裁いていたのです。今、私は完全に落ち着きました。私自身を完
     全に、あるがまま受け入れました。アメリカに戻ったら、私は人生
     を起こるがまま、バガヴァーンの恩寵(おんちょう)として受け入
     れます。そして苦みも甘みもともに楽しむでしょう。バガヴァーン
     を信頼すること、これがアーシュラムで学んだことのひとつなので
     す。以前、私はこんなふうではありませんでした。私には信頼する
     ことができなかったのです。
 マハラジ
 バガヴァーンを信頼することは、あなた自身を信頼することだ。
 何であれ起こることは、あなたによって、あなたを通して、あなたに起こる
 のだ。
 あなたがあなたの知覚するすべてを創造する者であり、それを楽しむ者であ
 り、破壊する者だということに気づきなさい。
 そうすれば、恐れることはないだろう。
 恐れがなければ不幸になることはなく、幸福を探すこともないだろう。
 あなたのマインドの鏡のなかで、あらゆる類の画像が現れては消えてゆく。
 それらがあなた自身の創造物であることを完全に知りつつ、それらが来ては
 去っていくのを沈黙のなかで見守りなさい。
 油断してはならない。
 うろたえてはならない。
 この沈黙の観察が、ヨーガの根本的な態度なのだ。
 あなたは画像を見ている。


 だが画像があなたではないのだ。
 質問者 私は死に関して考えることが私を脅かすことに気づきました。なぜ
     なら、私はふたたび誕生したくないからです。誰もそれを強要して
     いないことは知っています。それでも、満たされなかった欲望の圧
     力は圧倒的で、私には抵抗できそうにないかもしれません。
 マハラジ
 抵抗という問題は起こらない。
 誕生し、再誕生するものは、あなたではないからだ。
 それを起こらせるがいい。
 それが起こるのを見なさい。
(´・(ェ)・`)
(つづき)

753 避難民のマジレスさん :2019/03/31(日) 07:39:14 ID:LC3de7YgO>>755
>>750
鬼和尚ありがとうであります。
宿命通でありますか。
これも悟ってみなけりゃわからぬことでありますね。
それは死後にも残るのでありますね。
て、ことは、輪廻でつらなる全ての記憶が残ってるのでありますか?
(´・(ェ)・`)つ

754 避難民のマジレスさん :2019/03/31(日) 07:50:19 ID:LC3de7YgO>>755
>>752
『I AM THAT 私は在る』
【90 あなたの真我に明け渡しなさい】(つづき)

 質問者 では、なぜそれに関心をもつのでしょうか?
 マハラジ
 関心をもっているのはあなたなのだ!
 そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、あなたは
 それに関心をもちつづけるだろう。
 調和と平和への熱望は、消し去ることのできないものだ。
 だが、ひとたびそれが満たされれば関心は去り、身体的生活は注意のレベル
 以下の努力を要しないものとなる。
 身体を得るか、身体を去るかは、あなたにとって同じこととなる。
 あなたには何ひとつ起こらないという地点に達するのだ。
 身体なしには殺されない。
 所有物なしには奪われない。
 マインドなしには騙(だま)されない。
 そこに欲望や恐れを引っかける留めクギもない。
 何の変化もあなたに起こらないかぎり、ほかに何の問題があるだろうか?
 質問者 とにかく、私は死ぬという感覚が嫌いなのです。
 マハラジ
 なぜなら、あなたはとても若いからだ。
 あなたがあなた自身についてより多く知るほど、より恐れなくなるだろう。
 もちろん、死の苦悶を見ることはけっして快いことではない。
 だが、死にゆく人が意識していることはまれなのだ。
 質問者 彼は意識に戻ってくるのでしょうか?
 マハラジ
 それは非常に眠りに似ている。
 しばらくの間、個人は焦点からはずれ、その後、それは戻ってくるのだ。
 質問者 同じ個人が戻ってくるのでしょうか?
 マハラジ
 環境をつくり出す個人は、必然的に環境とともに変化していく。
 それは燃料とともに炎が変化していくようなものだ。
 ただ、その過程だけが時間と空間を創造しながら続いていくのだ。
 質問者 ともかく、神様が私の面倒を見てくれるでしょう。私は彼にすべて
     を預けることができるのです。
 マハラジ
 神への信仰さえも、道の上の一段階にすぎない。
 最終的には、あなたはすべてを放棄するのだ。
 なぜなら、あなたは言葉では表現できないほどシンプルな何かを実現するか
 らだ。
 質問者 私はまだはじめたばかりなのです。はじめのころは、信仰も、信頼
     もなく、ものごとを起こらせることを恐れていました。世界はとて
     も危険で、有害なところだったのです。少なくとも今、私はグルや
     神を信頼することについて話すことができるようになりました。私
     を成長させてください。私を無理に駆りたてないでください。私自
     身のペースで進ませてください。
 マハラジ
 もちろん進むがいい。
 だが、あなたはそうしない。
 あなたはいまだ男と女、老人と若者、生命と死という観念に固執している。
 進みなさい。
 超えていきなさい。
 認識されたことは、超越されるのだ。
 質問者 どこへ行こうと、人びとは私の過ちを見つけることが彼らの義務か
     のように、私を駆りたてるのです。私はもう、この霊的な助言のお
     仕着せに飽き飽きしました。私の現状のどこが間違っているという
     のでしょう? どんなに栄光あるものであっても、それを未来のた
     めに犠牲にするべきでしょうか? 実在は今のなかにある、とあな
     たは言います。私は私の現在を愛しているのです。私はそれが欲し
     いのです。永遠に、私の現状と未来を不安に思いつづけたくありま
     せん。より多くやより良くを追いかけまわしたくはないのです。私
     がもっているものを愛させてください。
 マハラジ
 あなたはまったく正しい。
 そうしなさい。
 ただ、正直でありなさい。
 あなたが愛することだけを愛しなさい。
 闘ってはいけない。
 努力してはいけない。
 質問者 これこそ、私がグルへの明け渡しと呼ぶものなのです。
 マハラジ
 なぜ外面化するのかね?
 すべてのものがその表現である、あなたの真我に明け渡しなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

755 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/31(日) 22:47:21 ID:1d4drIFg0
>>753 そうじゃ、それも観念に過ぎないものであるがのう。
 見る事も見ないことも自在にできるのじゃ。
 
自分の体がなく、自分の物が無く、自分の観念も無ければ、。殺されず、盗まれず、騙されないとマハラジは説くのじゃ。
それらは観念の上である苦であるから観念が無ければ存在しないのじゃ。
自我があればそれらを恐れるのじゃ。
自我を無くせばそれもないとしれるのじゃ。

なんでも避難所 2019/03/31(日)

864 避難民のマジレスさん :2019/03/31(日) 19:07:34 ID:FgQjjexI0>>866
鬼和尚様

季節の変わり目で朝昼晩の気温差がかなり違う日もありますが、
こうした温度を、刺激と感覚という形で観察するのも良いでしょうか?

その場合、やはり同一化を離れるとすれば肉体になるのでしょうか。
それとも、皮膚感覚のような五感になりますか?

どうぞよろしくお願いいたします。

865 避難民のマジレスさん :2019/03/31(日) 19:09:18 ID:h5P9mv0k0>>866
普通の薬を飲むより漢方を飲むほうが体への負担は少ないでしょうか?

866 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/31(日) 22:42:00 ID:1d4drIFg0
>>864 それもよい観察になるじゃろう。
 肉体や感覚やそれに囚われる観念をも厭離できるじゃろう。
 寒くなると血行が悪くなってうつも増えるというからのう。
 実践あるのみなのじゃ。
 
>>865 そうじゃろう。
 漢方も副作用が無い訳ではないが、その作用も穏やかなのじゃ。
 出来ればよい漢方医の処方を受けると善いのじゃ。
 本当に腕のよい漢方医ならば重症ではないかぎり三回で病も軽くなるというのじゃ。
 試してみるとよいのじゃ。

なんでも避難所 2019/03/30(土)

424 避難民のマジレスさん :2019/03/30(土) 02:31:40 ID:LC3de7YgO>>427
>>422
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

呂祖師は言った。

あなたは 注目を浴びたい。
注目をされたがっているのはいったい誰なのだろう?
自我エゴが注目を浴びたがっている。
自我は注目を浴びることで生きている。
誰にも相手にされなかったら――あなたがやって来ても誰も気つ゛かなかった
ら 、あなたが通り過ぎてもまるで相手にされず、誰も「おはよう、元気かい?」
と 声をかけなかったら――あなたは傷ついてしまう。
あなたはこのように考えはじ める。
「私は無視されている。私が誰であるかをあの連中に教えてやらなければ」
自我はつねに注目を浴びたがっている。 ……スブーティはとても静かだった。
注目を浴びたいという彼の欲望は消えてしまっていた。
注目を浴びたいという欲望が消えたとたん、あなたの 実存からはいっさいの政
治が消える。
そうなったらあなたは宗教的になっている。
そうなったらあなたは自分が何者でもないことにすっかりくつろいでいる。
そうなったらあなたはまったく異なった生を生きる。
そうなったらあなたはとても静かに生きるので、 どんな物音も立てず、さざ波
ひとつ立てず、一度も 去来したことがないかのように去来してゆく。
スブーティはいながらにしていなかった…… 実のところ、真 に 存在する瞬間
、あなたは 自我エゴという観念をそっくり落としてしまう。
人々が自我という観念をもち歩いて いるのは、彼らが存在していないからだ

この逆説を理解しようとしてみなさい。
存在していない者たちには自負心がある。
彼らは何がなんでも自負心を もたざるをえない。
彼らは世間に向かって自分を証明しなければならず、 絶えず演技をしつつ゛け
ている。
演技をしなければ、自分が誰でもない者に なってしまうことを知っているから
だ。
彼らは演技をし、声を張りあげ、 騒ぎ立て、他人の目を引きつけなければなら
ない。
アドルフ・ヒトラー、ジンギス・カーン、チムールや歴代の無数の愚かな政治
家 たち、彼らがしてきたことは、人
々の注意をもっともっと自分に引きつけること だった。
こういった連中は真に存在していない人々だ。
存在している人々はみずからの実存に深く満足している。
他人が注目するかどうかなど誰がかまうだろう?
彼らは自分だけで満ち足りている。
自分自身で充分に満足している。
だから、これはパラドックスだ。
存在していない人間は、 自分を大きく見せようと努力し、特別な誰かであるふ
りをする。
存在している人間はふりをせず、 自惚れず、とても静かな存在になる。
……彼はあたかもいないかのように存在していた……
そして不在のなかではじめて真の臨在プレゼンスが現れてくる。
人物が消え失せて、臨在が現れてくる。
……彼はゆっくりと溶けてゆき、人物として消え去った……
それが起こるとき、その奇蹟が起こるとき、 そのまさに不在そのものが光輝く
臨在となる。
……スブーティも樹の下に坐っていたが、瞑想すらもしていなかった。
他の者たちは瞑想をしていたが、彼はただ何もせずそこに坐っていた。
それは最も高度な瞑想の姿だった…… 瞑想を す る のは、あくまで初心者に
すぎない。
初心者は瞑想をしなければならない。
だが、瞑想を理解した者は す る という見地でとらえることさえできない。
何かをしたとたん、あなたが揺れ動くからだ。
何かをしたとたん、あなたは緊張する。
何かをしたとたん、自我が再び裏口からしのび込む ――行為とともに行為する
者が現れてくるからだ。
瞑想とは無為の境地だ。
確かに最初のうちは や ら なければならない。
だが、ゆっくりと瞑想が深まるにつれ、理解が生まれ、行為は消えてゆく。
そうなったら 瞑想は行為ではなく、実存のありようになっている。
行為は所有の世界の一部だ。
行為は所有のもうひとつの側面だ。
もちたければ、 行為しなければならない。
もちたければ、 行為せざるをえない。
数限りない人々が行為と所有の世界にとどまっている。
これら二つの彼方にもうひとつの世界 ――存在ビーイングの世界がある。
そこではあなたは何ももたず、行為の主体でもない。
すべては完璧に静かだ。
すべては完全に受動的であり、さざ波ひとつ立っていない。
……だから彼は瞑想をしていたのではない、いいかね。
彼は何もせずにただ坐っていただけだ。
すると突然、彼のまわりに花が舞い落ちはじめた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

425 避難民のマジレスさん :2019/03/30(土) 09:56:03 ID:LC3de7YgO>>427
>>424
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

それはふつうの花ではなかった。
この世の花ではなかった。
地上の花ではなかった。
それらは樹々から落ちてくる のではなく、空から舞い降りてきた。
いずこからともなく、忽然と現れてきた。
彼はこれほど美しく、鮮やかで、 かぐわしい花を見たことがなかった。
それらは彼方の花、黄金の華だった。
彼が畏敬の念に打たれ、驚嘆したのも当然だ。
すると神々が 「あなたの空くうについての講話は何とすばらしいのでしょう」
とささやきかけてくる声が聞こえてきた。
彼はすっかり当惑してしまった。
「空についての講話ですって? 私は空について話してなどいません」
とスブーティは言った。
「あなたは空について話さなかったし、 私たちは空について聴きませんでし
た」と神々は応えた。
「それが真の空なのです」
そして花がスブーティの上に雨のように降り注いだ。
これは私がこれまでに出会った最も美しい物語のひとつだ。
そこには深遠な意味が隠されている。
あなたが沈黙していれば、完全に沈黙していれば、 <存在>があなたの上に降り
注ぎはじめる。
祝福が雨のように降り注いでくる。
あなたが沈黙していれば、 あなたが瞑想の状態にあり、 何もせずただ存在し
ているなら、 全存在が、その恩寵のすべて、その 美と祝福のすべてをあなたの
上に結集させる。
これがイエスが「至福の境地」と呼んでいる状態だ。
はじめてあなたは<存在>の荘厳な輝きに気つ゛くようになる。
そうなったら、一瞬一瞬が永遠であり、息をする ことでさえすばらしい喜び、
すばらしい祝祭になる。
あなたが消えた瞬間、苦しみも消える。
苦しみは自我の影だ。
が、祝福は自然な現象であり、 それはあなたがからっぽになった とたんに、
ひとりでに起こってくる。
全存在が押し寄せ、爆発する。
ルートヴィッヒ・ヴィットゲンシュタインは「神秘的なのは 世界の成り立ちで
はなく、それが存在するということだ」と言っている。
世界が存在すること自体が神秘だ。
どこか他の場所に出かけてゆく必要はない。
神秘は隠されていない。
神秘は至るところにある。
世界が存在すること自体が神秘だ!
神秘を探すために深く掘り下げる必要はない。
神秘は至るところにある。
深みにだけでなく表面にもある。
ただそれを感じるこころハートがあればいい。
ただいつでも呼応できるように開いている実存があればいい。
ただ油断なく醒めていれば――努力や緊張をいっさいともなわずに 油断なく醒
めていればいい。
必要なのは瞑想の状態だけだ。
それがあれば、<存在>の恩恵が雨のように降り注ぎはじめる。
(p384)
さて、経文だ――
呂祖師は言った。
ところで、点検できる確証の体験が三つある。
その第一は、瞑想の状態に入ったときに神々が谷間にいるという体験である。
人々の話し声が数百歩も離れたところから響いてくるように聞こえ、 そのひと
つひとつがひじょうに鮮明である。
だが、その音はすべて谷間でこだまが反響するように聞こえる。
いつも聞くことができるのだが、自分自身の声はけっして聞こえない。
これが「神々が谷間にいる」といわれる体験である。
呂祖は、三つの確かな手応えのあるしるしについて語っている。
彼は最初のしるしを「神々が谷間にいる」と表現している。
歩んでゆく者たちは――あなたがたはみな瞑想に向かって歩んでいる――この
奇妙だがとてつもなく美しい空間に出くわすことになる。
瞑想があなたの内側で結晶しはじめた最初のしるしは「神々が谷間にいる」と
述べられている体験だ。
この隠喩メタファーは何を意味しているのだろう?
それは瞑想があなたのなかで起こりはじめると、たちまち全存在が谷間となり
、あなたは丘の頂上に立つということだ。
あなたは上昇しはじめる。
全世界が遥か遠くに見下ろせる深い谷間となり、あなたは日の照る丘の上に坐
っている。
瞑想はあなたを上昇させる――物理的にではなく、霊的にだ。
その現象が起こるときにははっきりわかる。
それらがしるしになる。
瞑想しながら内側に入ってゆくと、突然、あなたは自分と周囲の騒音のあいだ
に大きな距離が生まれているのに気つ゛く。
あなたは雑踏マーケットプレイスの只なかに坐っているかもしれないが、突然
、自分と騒音のあいだにすきまが生まれているのに気つ゛く。
ほんの一瞬前には、これらの騒音はほとんどあなたと一体化していた。
あなたはそのなかにあった。
今やあなたはそれらから遠ざかりつつある。
あなたの身体は前と同じようにそこにある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

426 避難民のマジレスさん :2019/03/30(土) 10:01:31 ID:LC3de7YgO>>427
>>425
>「神々が谷間にいる」・・・それは瞑想があなたのなかで起こりはじめると
、たちまち全存在が谷間となり、あなたは丘の頂上に立つということだ。
あなたは上昇しはじめる。
全世界が遥か遠くに見下ろせる深い谷間となり、あなたは日の照る丘の上に坐
っている。
・・・・瞑想しながら内側に入ってゆくと、突然、あなたは自分と周囲の騒音
のあいだに大きな距離が生まれているのに気つ゛く。

これが、虚室生白 であり、「神々が谷間にいる」の意味でありますね。
(´・(∀)・`)つ

427 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/30(土) 22:54:44 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、サマーディに入り、身体から意識が拡大してきている状態なのじゃ。
自分が無く、光だけがあると感じるのじゃ。
いくつも意識が在るように感じるのじゃ。
どこまでも意識が大きくなっているから上に跳んでいくように感じるのじゃ。
わかっていれば怖くないのじゃ。

なんでも避難所 2019/03/30(土)

746 避難民のマジレスさん :2019/03/30(土) 01:51:32 ID:LC3de7YgO>>750>>751
>>744
>ひとたびあなたが、死ぬのは身体だけであり、記憶の継続性と、その
 なかに反映する「私は在る」という感覚ではないと知れば、もはや恐れるこ
 とはないのだ。

←マハラジは、個の記憶は継続すると語っているのでありましょうか?
身体でも、感覚、感情、思考でもない「私は在る」だけは残るとしても、
だからこそ、記憶が死後も継続することはないでありましょう。
ここで言う「記憶」とは、個人のものではない別のものでありますかね?
(´・(ェ)・`)つ

748 避難民のマジレスさん :2019/03/30(土) 10:18:31 ID:LC3de7YgO>>750>>751
>>747
『I AM THAT 私は在る』
【90 あなたの真我に明け渡しなさい】(つづき)

 質問者 確かに、あまりにたくさんのエネルギーのため、今帰国して非常に
 活動的な生活を送りたいと望んでいることを認めます。
 マハラジ
 あなたが自分自身を身体とマインドだと見なさないかぎり、好きなことをす
 ることができる。
 実際に身体を放棄するという問題ではない。
 あなたが身体ではないという明瞭な理解、超然とした感覚、感情的に巻き込
 まれないことという、身体を放棄することにともなうすべてが重要なのだ。
 質問者 もし私が偉大な聖者とともにとどまれば、それは助けになるでしょ
 うか?
 マハラジ
 偉大な聖者たちはつねにあなたの手の届くところにいる。
 だが、あなたは彼らを認識しない。
 誰が偉大で、誰が聖者なのかをどうして知ることができるだろうか?
 聞き伝えに知るのだろうか?
 このことに関して、あなたは他者を、あるいは自分自身でさえ信頼できると
 言えるだろうか?
 疑いの影もないほどあなたを確信させるには、賞賛や推薦の言葉以上の、あ
 るいは歓喜の瞬間でさえも超えた何かが必要だ。
 あなたは偉大で神聖な男性、あるいは女性に遭遇するかもしれない。
 しかもその幸運に長い間気づかずにいることさえあるのだ。
 偉大な人の息子も、幼児でいる間は何年も彼の父親の偉大さを知らずにいる
 ことだろう。
 偉大さを認識するためには、成熟しなければならない。
 そして神聖さを認識するためには、マインドを浄化させなければならないの
 だ。
 あるいはあなたは時間と金を無駄に費やし、しかも人生が差し出しているも
 のを逃すことさえあるのだ。
 あなたの友人の中にはよい人びとがいる。
 彼らから多くを学ぶことができるだろう。
 聖者の後を追いかけまわすことは、単なるゲームにほかならない。
 それよりもあなた自身を覚えていなさい。
 あなたの日々の生活を容赦なく見守りなさい。
 誠実でありなさい。
 そうすればあなたは不注意と想像の束縛を打ち破るだろう。
 質問者 あなたの言われることはわかります。四年ほど前、私は身体的な側
 面を拒絶した時期がありました。衣服を買わず、シンプルな食事を
 し、ただの板の上に眠ったこともありました。重要なことは、欠乏
 の不自由を受け入れることであって、実際の不便さは問題ではあり
 ませんでした。今、私はあるがままの人生を歓迎し、それが差しだ
 すすべてを愛することが最善なのだと自覚しました。私は、何であ
 れやってきたことを喜びとともに受け入れ、そして最善を尽くすで
 しょう。もし私が少人数の子供たちに生命と真の文化を与えること
 ができるなら充分です。私のハートはすべての子供たちに引かれる
 のですが、皆に届くことはできません。
 マハラジ
 あなたは男性―女性意識をもつときだけ結婚し、母親となるのだ。
 あなたが自分自身を身体と見なさないとき、気づきの光だけが唯一の実在で
 あり、身体の織りなす家族生活がいかに強烈で、あるいは興味深いものであ
 っても、それはマインドのスクリーン上の戯(たわむ)れとして見られるだ
 けだ。
 質問者 なぜ、あなたは気づきだけが唯一の実在だと主張するのでしょうか?
 気づきの対象物も、それが存続するかぎり、実在なのではないでし
 ょうか?
 マハラジ
 だが、それは存続しないのだ。
 一時的な実在は二次的なものだ。
 それは永遠なるものに依存するのだ。
 質問者 あなたが言わんとしているのは、継続性でしょうか、あるいは永久
 性でしょうか?
 マハラジ
 存在のなかに継続性はない。
 継続性は過去、現在、未来における同一性を暗示している。
 そのような同一性は不可能なのだ。
 なぜなら、同一化の手段自体が変動し、変化するからだ。
 継続性や永久性は記憶によってつくられた幻想だ。
 それは単なる精神的投影のパターンなのだ。
 一時的や永久的、身体やマインド、男と女といったすべての観念を放棄しな
 さい。
 何が残るだろう?
 すべての分離が捨て去られたとき、あなたのマインドの状態はどうなってい
 るだろうか?
 私は区別をあきらめなさいと言っているのではない。
 それなしには顕現もありえないからだ。
 質問者 私が分離していないときは幸福で平和です。それでも、どうしてか
 私はその状態の認識を失ってしまい、何度も、外側のもののなかに
 幸福を探そうとしてしまうのです。どうして内なる幸福は安定しな
 いのでしょうか? 私には理解できません。
 マハラジ
 結局、平和もまたひとつのマインドの状態なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

749 避難民のマジレスさん :2019/03/30(土) 10:23:26 ID:LC3de7YgO>>750>>751
>>748
> あなたが自分自身を身体と見なさないとき、気づきの光だけが唯一の実在

うむ。
ここで語られてるのも、虚室生白 でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

751 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/30(土) 22:40:48 ID:1d4drIFg0
>>749 そうじゃ、自分は無くなり光が在るのじゃ。

なんでも避難所 2019/03/30(土)

744 避難民のマジレスさん :2019/03/29(金) 00:25:12 ID:LC3de7YgO>>750
>>740
『I AM THAT 私は在る』
【90 あなたの真我に明け渡しなさい】

 質問者 私はアメリカに生まれました。この一四カ月間、シュリー・ラマナ
     アシュラムに滞在していました。今、母の待つアメリカに帰る途中
     です。
 マハラジ
 あなたの計画はどのようなものだろうか?
 質問者 私は看護士としての資格をもつかもしれません。あるいはただ結婚
     して、子どもをもつかもしれません。
 マハラジ
 何があなたに結婚を望むようにさせるのだろう?
 質問者 スピリチャルな家庭をもつことは、社会奉仕の最高の形だと私は考
     えています。しかし、もちろん人生は違った形を取るかもしれませ
     ん。何が来ようとも受け入れる用意があります。
 マハラジ
 シュリー・ラマナアシュラムでの一四カ月間、彼らは何をあなたに与えたの
 だろうか?
 あなたがそこに到着したときと比べて、あなたはどう変わっただろうか?
 質問者 私はもはや恐れなくなりました。私はある平和を見いだしたのです。
 マハラジ
 それはどのような類の平和だろうか?
 求めたものが手に入った平和だろうか、あるいはもっていないものを求めな
 い平和だろうか?
 質問者 思うに、その両方を少しずつです。本当は楽ではありませんでした。
     アーシュラムが平和なところにもかかわらず、内面的には、私は苦
     悩のなかにいたのです。
 マハラジ
 内面と外面という区別はマインドのなかにあるだけだと自覚したとき、あな
 たはもはや恐れなくなるのだ。
 質問者 私にとってそのような自覚は、来ては去っていくものなのです。私
     はまだ不動の絶対的な完成に至ってはいないのです。
 マハラジ
 あなたがそう信じているかぎり、完全ではないという偽りの観念を払いのけ
 るためのサーダナ(修練)を続けなければならないだろう。
 サーダナは真実の上に重ねられた偽りを取り除くのだ。
 あなたが自分自身を時間と空間のなかにある点よりも小さく、切断されるに
 は小さすぎる何か、殺されるには短命すぎる何かとして自覚したとき、その
 とき、そしてその時にのみ、すべての恐れは消え去るのだ。
 あなたは針の先端よりも小さい。
 それでは、針はあなたを突き通すことはできない。
 あなたが針を突き通すのだ!
 質問者 そうです。ときどき、私は不屈だと感じます。私は恐れ知らず以上
     の何かです。私は大胆不敵そのものなのです。
 マハラジ
 あなたをアーシュラムへ行かせるようにしたきっかけは何だったのだろうか?
 質問者 私は不幸せな恋愛をして、地獄のように苦しんだのです。お酒も麻
     薬も助けにはなりませんでした。暗闇を手探りしながらヨーガの本
     にたどり着き、いくつかの手がかりを通じてラマナアシュラムにた
     どり着いたのです。
 マハラジ
 もし同じような悲劇がまたあなたに起こったなら、同じように苦しむだろう
 か?
 現在のマインドの状態を思えばどうだろうか?
 質問者 いいえ。けっしてふたたび私自身を苦しめたりはしません。死んだ
     ほうがましなくらいです。
 マハラジ
 では、あなたは死を恐れないのだね!
 質問者 死ぬことは恐れますが、死自体を恐れはしません。私は死の過程が
     苦痛に満ち、醜いものだと想像するのです。
 マハラジ
 どうして知ることができるだろう?
 それがそうである必要はない。
 それは美しく、平和なものでありうるのだ。
 ひとたびあなたが死は身体に起こり、あなたに起こるのではないと知れば、
 あなたはただ、身体が捨て去られた衣服のように離れ去っていくのを見守る
 だけだ。
 質問者 私は死の恐怖が知識ではなく、不安によるものだということに完全
     に気づいています。
 マハラジ
 人間は毎秒ごとに死んでいるのだ。
 死ぬことへの恐怖と苦悩は雲のように世界の上にたれこめている。
 あなたもまた恐れていることは、何も不思議なことではない。
 だが、ひとたびあなたが、死ぬのは身体だけであり、記憶の継続性と、その
 なかに反映する「私は在る」という感覚ではないと知れば、もはや恐れるこ
 とはないのだ。
 質問者 まず、死んでみて、それからどうなるか見てみましょう。
 マハラジ
 注意を払いなさい。
 そうすれば、あなたは誕生と死がひとつであることを見いだすだろう。
 生命は存在と非存在の間を脈動し、互いが他方をその完全性のために必要と
 していることがわかるだろう。
 あなたは死ぬために生まれ、再誕生するために死ぬのだ。
 質問者 無執着がその過程を止めるのでしょうか?
 マハラジ
 無執着とともに、恐れが消える。
 だが事実が消えることはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

746 避難民のマジレスさん :2019/03/30(土) 01:51:32 ID:LC3de7YgO>>750>>751
>>744
>ひとたびあなたが、死ぬのは身体だけであり、記憶の継続性と、その
 なかに反映する「私は在る」という感覚ではないと知れば、もはや恐れるこ
 とはないのだ。

←マハラジは、個の記憶は継続すると語っているのでありましょうか?
身体でも、感覚、感情、思考でもない「私は在る」だけは残るとしても、
だからこそ、記憶が死後も継続することはないでありましょう。
ここで言う「記憶」とは、個人のものではない別のものでありますかね?
(´・(ェ)・`)つ

748 避難民のマジレスさん :2019/03/30(土) 10:18:31 ID:LC3de7YgO>>750>>751
>>747
『I AM THAT 私は在る』
【90 あなたの真我に明け渡しなさい】(つづき)

 質問者 確かに、あまりにたくさんのエネルギーのため、今帰国して非常に
 活動的な生活を送りたいと望んでいることを認めます。
 マハラジ
 あなたが自分自身を身体とマインドだと見なさないかぎり、好きなことをす
 ることができる。
 実際に身体を放棄するという問題ではない。
 あなたが身体ではないという明瞭な理解、超然とした感覚、感情的に巻き込
 まれないことという、身体を放棄することにともなうすべてが重要なのだ。
 質問者 もし私が偉大な聖者とともにとどまれば、それは助けになるでしょ
 うか?
 マハラジ
 偉大な聖者たちはつねにあなたの手の届くところにいる。
 だが、あなたは彼らを認識しない。
 誰が偉大で、誰が聖者なのかをどうして知ることができるだろうか?
 聞き伝えに知るのだろうか?
 このことに関して、あなたは他者を、あるいは自分自身でさえ信頼できると
 言えるだろうか?
 疑いの影もないほどあなたを確信させるには、賞賛や推薦の言葉以上の、あ
 るいは歓喜の瞬間でさえも超えた何かが必要だ。
 あなたは偉大で神聖な男性、あるいは女性に遭遇するかもしれない。
 しかもその幸運に長い間気づかずにいることさえあるのだ。
 偉大な人の息子も、幼児でいる間は何年も彼の父親の偉大さを知らずにいる
 ことだろう。
 偉大さを認識するためには、成熟しなければならない。
 そして神聖さを認識するためには、マインドを浄化させなければならないの
 だ。
 あるいはあなたは時間と金を無駄に費やし、しかも人生が差し出しているも
 のを逃すことさえあるのだ。
 あなたの友人の中にはよい人びとがいる。
 彼らから多くを学ぶことができるだろう。
 聖者の後を追いかけまわすことは、単なるゲームにほかならない。
 それよりもあなた自身を覚えていなさい。
 あなたの日々の生活を容赦なく見守りなさい。
 誠実でありなさい。
 そうすればあなたは不注意と想像の束縛を打ち破るだろう。
 質問者 あなたの言われることはわかります。四年ほど前、私は身体的な側
 面を拒絶した時期がありました。衣服を買わず、シンプルな食事を
 し、ただの板の上に眠ったこともありました。重要なことは、欠乏
 の不自由を受け入れることであって、実際の不便さは問題ではあり
 ませんでした。今、私はあるがままの人生を歓迎し、それが差しだ
 すすべてを愛することが最善なのだと自覚しました。私は、何であ
 れやってきたことを喜びとともに受け入れ、そして最善を尽くすで
 しょう。もし私が少人数の子供たちに生命と真の文化を与えること
 ができるなら充分です。私のハートはすべての子供たちに引かれる
 のですが、皆に届くことはできません。
 マハラジ
 あなたは男性―女性意識をもつときだけ結婚し、母親となるのだ。
 あなたが自分自身を身体と見なさないとき、気づきの光だけが唯一の実在で
 あり、身体の織りなす家族生活がいかに強烈で、あるいは興味深いものであ
 っても、それはマインドのスクリーン上の戯(たわむ)れとして見られるだ
 けだ。
 質問者 なぜ、あなたは気づきだけが唯一の実在だと主張するのでしょうか?
 気づきの対象物も、それが存続するかぎり、実在なのではないでし
 ょうか?
 マハラジ
 だが、それは存続しないのだ。
 一時的な実在は二次的なものだ。
 それは永遠なるものに依存するのだ。
 質問者 あなたが言わんとしているのは、継続性でしょうか、あるいは永久
 性でしょうか?
 マハラジ
 存在のなかに継続性はない。
 継続性は過去、現在、未来における同一性を暗示している。
 そのような同一性は不可能なのだ。
 なぜなら、同一化の手段自体が変動し、変化するからだ。
 継続性や永久性は記憶によってつくられた幻想だ。
 それは単なる精神的投影のパターンなのだ。
 一時的や永久的、身体やマインド、男と女といったすべての観念を放棄しな
 さい。
 何が残るだろう?
 すべての分離が捨て去られたとき、あなたのマインドの状態はどうなってい
 るだろうか?
 私は区別をあきらめなさいと言っているのではない。
 それなしには顕現もありえないからだ。
 質問者 私が分離していないときは幸福で平和です。それでも、どうしてか
 私はその状態の認識を失ってしまい、何度も、外側のもののなかに
 幸福を探そうとしてしまうのです。どうして内なる幸福は安定しな
 いのでしょうか? 私には理解できません。
 マハラジ
 結局、平和もまたひとつのマインドの状態なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

749 避難民のマジレスさん :2019/03/30(土) 10:23:26 ID:LC3de7YgO>>750>>751
>>748
> あなたが自分自身を身体と見なさないとき、気づきの光だけが唯一の実在

うむ。
ここで語られてるのも、虚室生白 でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

750 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/30(土) 22:40:06 ID:1d4drIFg0
>>746 悟れば個我としての記憶は全て観られるのじゃ。
 それが宿命通と呼ばれるものじゃ。
  記憶は思い出すことが出来るのじゃ。
 それを現実として扱うことは無いのじゃ。