なんでも避難所 2020/07/14(火)

812 避難民のマジレスさん :2020/07/14(火) 21:16:43 ID:Q5SRQyNQ0>>813
おまけとして、坐禅儀。
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警念起所      念の起所をいましむ
公案工夫暮与朝     ぼとちょうと  
山堂夜々雨蕭々     あめせうせうたり 
地獄猛火百万劫    みょうくわびゃくまんごふ
満腹詩情幾日消   の  幾にちかしょうせん
 
Didier, DAVIN訳
一日中公案の事を考えても、
詩を作りたい気持ちが治まらない。
そのせいで地獄に落ちる。地獄の火は百万劫も続くが、
心にある詩情は何日燃え続くのであろうか。

くま訳
思念の起こるところ
明けても暮れても公案の工夫  
山堂には毎晩雨が寂しくシトシトと降る   
(なのに)地獄の猛火はいつ迄も燃え  
胸一杯の詩情はいつ消えることやら

*警念起所:参) 坐禅儀
寛放臍腹      寛(ひろ)く臍腹(せいふく)を放ち
一切善悪 都莫思量 一切の善意すべて思量することなかれ。 
念起即覚 覚之即失 念の起こらば即ち覚せよ、これを覚すれば即ち失す。 
久久忘縁 自成一片 久々にして縁を忘ずれば自ずから一片となる。
此坐禅之要術也   これ坐禅の要術なり。

リンク集 Hp名不明 訳
下腹をゆったりさせて、およそ善悪というものを思慮しないことだ。
念が起こったら、直ちに目覚めよ。目覚めれば、直ぐに念はなくなる。
久しく精神を統一して、外縁を忘れていくと主観と外観とが一つになって「禅定三昧」になる。
これが坐禅のもっとも大切な方法である。

垣堺玄了老師解説
「念起即覚ねんきそくかく、覚即失かくそくしつ」とそのまま読めば、念の起こるその者が覚者、悟るもの
であり、覚というのは即ち捨てること、失であると読めます。つまり、昨日もだめ今日もだめという念の起
こるその人が覚者だぞ、その念が去った時そのまま覚者だということです。これは理屈のように聞こえるか
もしれませんが念の起こるその者が仏だから修行が成就するのです。

くま訳
臍のちょぴっと下辺りをゆったりとさせるようにして、
一切の善悪等、分別思量しないこと。
思いが生じたら、それに即気づけ、気づいたら即消えるのである(ここまで「止」の行)
ある程度の時間集中して、雑念が消え、忘我からサマディ-の境地に至る。(三昧の境地へ到達)
これが、坐禅の法である。

うむ。一休さんは、念が起これば、それを詩文に起こして、昇華させるのでありますね。
これは、ある意味、起こった念を、明確に意識して、消し去る方法とも言えるでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

813 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2020/07/14(火) 23:48:00 ID:1d4drIFg0
↑そうかもしれん。
誰にでもできる法ではないがのう。
詩の才能がなければ無理なのじゃ。
一休は稀に見る詩才があったのじゃ。