- 879 :鬼和尚 :2008/01/10(木) 22:58:26 ID:DY6nSkSg
- 今日は寝ておった。
明日は頑張るのじゃ。
- 716 :神も仏も名無しさん:2008/01/08(火) 21:48:33 ID:ZU0a8LO9
- あっ、鬼和尚…
- 717 :里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/08(火) 21:49:44 ID:jUxUWftZ
- 鬼和尚が通りました。
- 817 :鬼和尚 :2008/01/09(水) 21:03:02 ID:p4CdvcpV
- >>716 そうじゃ。
>>717 わしじゃ。もう寝た。
- 797 :ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2008/01/09(水) 03:41:35 ID:gteRoS/o
- >>794
そうだね。俺も釈尊の心意気の意図が良く分からないんだ。
当時の時代背景がそうだったのかな。
鬼和尚さんに是非教えてもらいたいところだね。
俺は眠くなったので寝ます。
昨日の失恋さん。また話しましょ〜
- 804 :神も仏も名無しさん:2008/01/09(水) 12:43:06 ID:P4ixEsO/
- 自我というのは、踏み絵みたいなもんなのかな。たとえば自分の
写真を踏みつける人がいたとしたら、それに怒りを感じるかも
知れない。しかし踏まれているのは写真であって自分ではない。
自分は物理的には一切傷付いたり怪我をしたりはしていない。
ただ写真が汚れたり破れたりしただけだ。写真は写真であって自分
ではないのだから怒る必要は本当はない。写真を守ったからといって
何が変わるわけでもない。自分は最初から最後まで何も変わって
いない。
- 806 :神も仏も名無しさん:2008/01/09(水) 14:27:09 ID:AXmfMhfn
- >>804
ならば、本当の自分はどこにあるの?
一体何が本当の自分なの?
踏絵と自分ぐらいの明確で分かりやすい区別があれば、誰も傷つかないですむのだが。
- 816 :鬼和尚 :2008/01/09(水) 21:01:10 ID:p4CdvcpV
- >>797 大きな罪を犯した者も、心から反省し、懺悔したなら許されるのじゃ。
しかし、罪の報いは受けなければならん。
アングリマーラは悟りを得て阿羅漢になってからも、肉体は罪の報いを受けて乞食行で村に行くと、人々から石を投げられておったそうじゃ。
心は解脱しても肉体がある限り、罪の報いは受けるのじや。
>>804 なかなかいい喩えじゃのう。
自我の本体は記憶によって作られたイメージなのじゃ。
それ故に人は己のイメージを傷つけられると怒るのじゃ。
>>806 本当の自分を、集中と観察によって探すのが修行じゃ。
- 665 :恋する煩悩☆ショコラティエ氏:2008/01/07(月) 22:59:11 ID:j/lkTcnt
- >>660
そういえば、科学的には第三の目と言われるのが松果垂体で、
宗教的にはチャクラってことだったかねぇ?
- 656 :ASIMO ◆ASIMOB7VcM :2008/01/07(月) 21:57:54 ID:8iibbRkr
- 『宗教なくして科学は不具であり、科学なくして宗教は盲目です。』
アルバート・アインシュタイン
- 713 :鬼和尚 :2008/01/08(火) 21:31:19 ID:m+FQlbIG
- >>665 特に無いのう。なるべく原文に近いものを読んで、自ら考える方が良かろう。
>>656 そうかもしれん。
- 611 :昨日の失恋:2008/01/06(日) 22:18:05 ID:Czumtwzs
- 鬼和尚さん、ダンマバダありがとうございます。
>>607
> では、またの機会に。
マジですか^^;;;;
いえ、結局は楽しめました。またの機会に^^;
- 616 :神も仏も名無しさん:2008/01/06(日) 23:12:15 ID:VdMeImzX
- ん!鬼和尚の説教あったんだね。
今度は禅の逸話を解説して欲しいなぁ。
難解なのが多いんで。
- 628 :キンキ鬼ッズ:2008/01/07(月) 00:01:18 ID:QZYoYEGl
- うーん。とりあえず今から座るよ。
一緒にどう?
- 636 :偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2008/01/07(月) 02:29:36 ID:NYVbRyGY
- ま、これでも見てなごめ。
自分で布団を敷いて寝てしまう猫。
http://kamibakusho.blog50.fc2.com/blog-entry-421.html
- 644 :恋する煩悩☆ショコラティエ氏:2008/01/07(月) 18:07:47 ID:j/lkTcnt
- いまさらながら。 あけおめーーーー。
1日から6日までずっと行事と仕事ずめが終って、交替できるので
やっと今日から休みになったぁ。・・・って、いきなり300以上m進んでんかい?
>>641
あれっ???前に前世チベットって書いてあった人ですか?
- 645 :神も仏も名無しさん:2008/01/07(月) 18:12:17 ID:1ZyipUEV
- 流れを無視して失礼!
鬼和尚氏にこの人の体験についての見解が聞きたいのです。
「四次元を見つけてしまった」
http://4d4u.net/2chBBS/test/read.cgi/4444/1123343525/4-12
オカ版ではもうかなり有名ですが、この人の体験は悟りの一歩?
それとも分裂病?非常に気になる・・・
- 646 :ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2008/01/07(月) 18:18:31 ID:V8OLYGKh
- >>605-606
鬼和尚さん、ダンマパダの解説ありがとうございます。
- 653 :鬼和尚 :2008/01/07(月) 21:09:47 ID:jand1JVF
- >>611 どういたしまして。又おいでなさい。
>>616 禅の話もいずれ書くじゃろう。
>>628 えらいのう。さすが鬼っずじゃ。
>>636 なごむのう。
>>644 あけましておめでとうなのじゃ。
>>645 うむ、一瞬、阿頼耶識の作用が止まり、真の認識が働いた状態じゃな。
その境地では言葉で表すものがなくなり、もとの阿頼耶識に返ってもやはり言葉では表せないものじゃ。
ちゃんと修行して自我を解体し、認識の転換を果たしたなら、一瞬ではなく完全な悟りを得た事じゃろう。
惜しい事じゃ。
>>646 どういたしまして、又おいでなさい。
- 606 :鬼和尚 :2008/01/06(日) 22:11:15 ID:fuj3iwde
- ?
そのように小さな嘘を続けているうちに、次第に何が本当か判らなくなってしまう。
このような欠陥は、己の心を観察しようとした時、大きな障害になるものじゃ。修行の時にも己の心を誤魔化そうとする習慣が働いてしまうからじや。
それゆえに、まことであるものをまことであると、日頃から見なしておかなければならないのじゃ。
しかし、仕事の上で調整や人間関係で嘘をつかなければならない者も居るじゃろう。
そのような時には嘘をついてもいいが、心の中では「今、私は仕事の為に嘘をついた。人間関係を円滑にする為に嘘をついた」と、はっきり宣言するのじゃ。
それに対して批判も肯定もしない。
ただ、己の心にまことであるものをまことでせあると宣言する。
それが修行なのじゃ。
このように日常からまことであるものをまことであると見なしておれば、心の観察は容易になって来るじゃろう。
己の心に嘘をつかなければ、心の奥に隠された秘密は、少しずつ開かれてくるじゃろう。
その秘密が開かされるまで、みんな頑張るのじゃ。
。
- 605 :鬼和尚 :2008/01/06(日) 22:10:08 ID:fuj3iwde
- さて、今日は久しぶりにダンマパダ(法句経)からの教えを解説じゃ。
ダンマパダにはこう書いてある。
11 まことでないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではなしと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実(マコト)に達しない。
12 まことであるものを、まことであると知り、まことでないものを、まことでないと見なす人は、正しい思いにしたがって、ついに真実(マコト)に達する。
【真理のことば】ダンマパダ<中村 元訳> より。
これは子供に聞かせるような教えじゃ、とみんなは思うかもしれん。
まことであるものをまことと見なすとは、当たり前ではないか、と思うじゃろう。
しかし、現実にはまことであるものをまことであると見なすのは、とても難しく、厳しく己に克つ事が必要とされるのじゃ。
世の中には嘘が多い者じゃ。仕事の上で、あるいは対人関係で、ちょっとした調整や気配りで細かい嘘をついてしまう者も多いじゃろう。
小さな嘘をついている内に、嘘をつくことが当然の事となってしまい、何時の間にか嘘で心が塗り固められてしまう。
人間の心は習慣の力によって流され易いのじゃから、嘘をつくことが習慣になってしまえば、もはやまことであるものが見えなくなってしまうのじゃ。
みんなにも経験があるじゃろう。
例えば宣伝文句などにも、嘘臭いものだと思ってはいても、余りに繰り返されると何時の間にか受け入れてしまう。
日頃から自分が嘘に塗れている者は、嘘に関する感受性が下がってしまい、他人の嘘にも鈍くなってしまうものじゃ。
- 497 :神も仏も名無しさん:2008/01/05(土) 22:53:54 ID:YIRxlbEI
- どうしても思い出せないし、ウエブを検索しても出てこないので教えてください
前に読んだ仏典の話で、お釈迦さんが怒りか何かを他人にぶつけられて、それを相手にしなかった。
それを食事に喩えて、貴方の出された食事に、私は手をつけなかった、手をつけなかった食事は食事を出した本人に戻る
貴方の出された怒りに私が手をつけなければ、これはなんじのものである。・・・みたいな話なんですが、典拠が何だかご存知の方居ませんか。
本日買ったカウンセリングの本に、「他人の怒りに対応する方法」として、全く同じ話が現代の心理学として載っていまして、
おや?いつか見たあの話だ・・・と思ったものですから、知りたくなったのでした。
- 510 :神も仏も名無しさん:2008/01/06(日) 01:40:48 ID:GZEeWTQs
- あけましておめでとうございます
今年の目標はまず酒に依存する性癖をなんとかするということです
このスレは覗いてみるといろいろインスピレーションが沸く良いスレですね
このスレの皆が幸せな一年でありますように
- 516 :神も仏も名無しさん:2008/01/06(日) 08:50:39 ID:JzDOn7OR
- 鬼和尚さんブログの方更新頼んまっせ
- 546 :偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2008/01/06(日) 14:06:36 ID:YRhJvjja
- ところで、怒って論争になっちゃうってのも、自我があるからなのかな?
- 554 :神も仏も名無しさん:2008/01/06(日) 14:40:21 ID:rZQu1k7K
- 暴れている動物にも、餌を与えなければ、いずれ飢えて死ぬ。
2chにとっての餌と言うのは、注目である。愛でも喧嘩でも同じ。
だから御釈迦さんは、怒りは怒りによって静まらないと言ったんだ。
- 563 :神も仏も名無しさん:2008/01/06(日) 17:57:40 ID:VdMeImzX
- 鬼和尚のありがたい説教聞きてーなー。
- 593 :鬼和尚 :2008/01/06(日) 21:33:48 ID:fuj3iwde
- >>497 すまん、わしも忘れた。
>>510 あけましておめでとうなのじゃ。おぬしもしあわせな一年になるように。
>>516 そういえば忘れとったのう。
>>546 そうじゃ。自我のイメージが傷つけれら、怒りが起き、論争が起きるのじゃ。
>>554 そうじゃ、スルーじゃ。
>>563 そういえば忘れていたような気がするのう。