「【仏教】悟りを開いた人のスレ41【天空寺】心」カテゴリーアーカイブ

心と宗教板 2008/09/07(日)

801 :ただのおやじ:2008/09/07(日) 21:28:56 ID:VgCGuLJ+
>>800
知識は知識なんです、分別なくつかえるものなんです。
それすら分らんですか。
ゴミ以下。

803 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/07(日) 21:33:17 ID:MuwX1aws
>>801 それが言い訳じゃ。知識を惜しみ、捨てたくないと思っている故に、そのようにだだをこねて手放すまいとしているのじゃ。
 全てを奪い去るのじゃ。わしを恐れるでない。

心と宗教板 2008/09/07(日)

793 :茶店の隠居 ◆N7KmCpeHaQ :2008/09/07(日) 21:01:57 ID:0OJ7CQS0
今回の件は、キンキさんが生活板に合コンを申し込んだと理解しました。
盛り上がったという人もいるし、失敗だったという人もいる。交流が目的なら、
ちょっとマズかった、というのが大方の感想ではないかな。

もし誰かが他板に悟りスレも立てるなら、『悟りの開いた人との【交流】スレ』
と題する事を提案したい。板というのは国みたいなものだったんですね。
侵略とか戦だとかの感覚があって。長崎の出島ですと先に宣言するのがいいと思った。


795 :なにわっこ娘:2008/09/07(日) 21:04:52 ID:p4a7zQIA
鬼和尚さまは優しいね。

802 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/07(日) 21:30:26 ID:MuwX1aws
>>793 むしろないすな感じじゃよ。わっはっはっは。

>>795 おぬしには負けるがのう。わっはっはっは。



心と宗教板 2008/09/07(日)

687 :             :2008/09/07(日) 15:46:46 ID:7oxJHAWy
     ↑   ↑    ↑
  ごめんよー アドレス間違えたよー


【日常】気付き・観察のスレ【仏教】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1220769323/

689 :神も仏も名無しさん:2008/09/07(日) 15:52:22 ID:5p5F4LKu
鬼和尚が来ないと成り立たない様な気がする

759 :ただのおやじ:2008/09/07(日) 19:44:22 ID:VgCGuLJ+
ただ持ち物を取り去ってやるのが師のつとめなんです。
一言でいやあ観念妄想引っぺがしてやる。
だから仮にも一言も褒めるもんじゃないんです、弟子のこと。
聞いたほうは慢心おこす、これ火を見るより明らか。
こりゃ師の師たるに非ずってことです。
これを分らず、テメエの荷物見えずってのは、推して知るべし。
ましてや耳を塞ぎ、目を覆い、口を閉ざしして、自分の都合のいい時だけ自分の都合で開け閉めって。
いまの政治家・役人のやってることと同じ、お手盛りデタラメ宗教以外の何物でもないってことですか。
その程度だかちっと長けてる人の問いには、「お前の心がそう見せておるのじゃ」としか答える術がない。
暗愚なることこの上なし。
こんなのが仏祖の法なら法難に会うまでして正伝した祖師方ってのは一体なんだったんでしょうか。
鬼なんとかって人を妄信する人たち、ここをよくよく省みてください。
正師はとことん奪いつくします、邪師はよけいもん付け足す。
死んで死んで死にきっておもいのままにするわざぞ良き。
だから師は弟子を殺して殺して殺しつくします。
その師の思いに答えるべく弟子は、仏に会えば仏を殺し、師に会えば師を殺すんです。
無一物中無尽蔵するために。

767 :神條 遼 ◆0tZOcyVq86 :2008/09/07(日) 19:52:45 ID:zACWMzic ?2BP(0)
>>759
……この前から思ってたんだが。
せったんか、お前さん?

800 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/07(日) 21:25:41 ID:MuwX1aws
>>687 いいかもしれん。

>>689 行くかもしれん。

>>759 相変わらず記憶した知識だけを、語っておるのう。
 おぬしから奪わなければならないのは、その記憶した知識じゃな。
 自ら語ったとおり、速やかにその無用なガラクタを捨てるが良い。

>>767 寺の宣伝をするのは本人か、そうでなければ係累以外になかろう。
 本人は知られていないと、思って居るが、このスレの者は殆ど判って居るじゃろう。
 おぬしも空気を読んで、付き合ってやるが良いのじゃ。わっはっはっはっは。

心と宗教板 2008/09/07(日)

507 :神も仏も名無しさん:2008/09/06(土) 23:35:41 ID:E75BIzAY
はじめまして
生活全般板からまいりました。あちらで次スレをたててとレスしたものです。
荒れてしまっても、次スレたてましょうといってくださった人、
どうもありがとう。
それをひとこと云いたくてまいりました。

私は教祖と信者みたいな輪はすきではありません。宗教もよくしらないです。でも生活全般の悟りスレ、よかったですよ。
鬼和尚は2ちゃんねるとは別に語りの広場をおもちのようですね。
こんどゆっくりはいけんさせていただきます。





512 :幻想してみた:2008/09/07(日) 00:16:18 ID:uA7Hw4r9
僕が最近気になっている聖者の言葉に

>神に対し完全にサレンダーしなさい。
>神があなたの人生に何をもたらそうと、それにサレンダーするのです。
>何であれ、それは神の祝福です。素晴らしい試練を与えられたことに心から感謝し、
>喜んで受け入れるのです。渋々ではいけません。
>これは大変に重要な点です。
>決して苦痛を感じながら、不承不承受け入れるようではいけません。
>大きな愛で受け入れるのです。柔軟な適応力を身につけ、
>完全に適応するのです。
>そうすれば神はあなたにそれ以上の試練を与えることはないでしょう

と言うものがあるのですが これはなかなか難しいですね
僕にはエゴがあります。
エゴが思ってることは一つ そこに集中しそれ以外を見ないことです。
それゆえ それを破壊することは自分自身の死を意味します。

言い換えれば 価値観をおいているその場所である。
だから神にサレンダーするなんてことは難しいのです。
何が起こっても良いと言う気持ちで座ることを妨げるのは 自分のエゴである。
エゴを殺すことはかくも難しい
まぁ 積み重ねのような気はしますが結局は・q・

514 :幻想してみた:2008/09/07(日) 00:52:32 ID:uA7Hw4r9
>頭では良く理解しているのう。
>しかし、未だ実践が追いついていないのじゃな。

頭でもあまり理解できていないのが実情です・q・
このあたりが俺のレベルのような気がします。

行の実践は その成否はすでに決められています。
最初から結果は見えています。
成功すべき人間は成功します。それは100%
失敗する人間もまた同様です。

それも100%です。
それを決定するその要因は何なのか

過去から来る徳の差なのか
運命と呼ばれる 何かなのか
そうならば その何かとは何なのか

565 :神も仏も名無しさん:2008/09/07(日) 03:53:12 ID:G85ySUMH
鬼和尚の初出ってこれ?
あんがい最近なんだね。

159 :鬼和尚:2007/04/25(水) 13:54:57 ID:nPyxSnjI0
 レス読ませて貰った。
 おまいらは結局、悟りとか必要だと思ってないようだな。
 それならそれでいいがね。

 で、おまいら何が知りたいの?


606 :神も仏も名無しさん:2008/09/07(日) 11:30:14 ID:OvOL0WVB
一体なにをいってるのだろうか?
あれほどスレが盛り上がったのは実に素晴らしいことではないでしょうか?
普通くだらないスレならレスがつかず沈むものです。
有意義な議論も中にあり面白いものだったのだ

797 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/07(日) 21:11:40 ID:MuwX1aws
>>507 どういたしまして、規制が取れたら次スレも立てるじゃろう。
 わしのブログもどうぞ。又おいでなさい。

>>512 完全に明け渡す方が難しい。
 故に毎日の修行で観る事を目指すのじゃ。

>>514 その差はどこまでも真剣に、自分を追及する事が出来るかにあるのじゃ。
 どれほど苦しく、恐ろしく思っても、どこまでも追求しようと言う強い意志が、成功する唯一の要因なのじゃ。
 自我と自分を同一視している人間は、自我を捨てるとは、自分を捨てるのではないかと、恐れが生じるものじゃ。
 その時、その関門を突き破る事が出来るのは、強い意志の力だけなのじゃ。
 どこまでも真実を追究しようという意志、それのみが最後の扉を開く事が出来るのじゃ。

>>565 あの頃はわしも若かったのう。
 今はよぼよぼじゃ。

>>606 そうじゃ、大成功じゃ。面白かったのう。更に続けるのじゃ。

心と宗教板 2008/09/07(日)

506 :358:2008/09/06(土) 23:30:57 ID:lXydfw6H
>>358 です。
鬼和尚さま、みなさま、詩の感想レスありがとうございます。
妄想かかずに>>2から修行じゃ、といわれるかもしれませんが、僕の分析(妄想ですねw)を書きます。


閉じこめた高原がどんな風景だったかを
思い出そうとして
霧は
ときどき自分自身を取りはらってみる


霧=自我、高原=本来の自己(本来の面目?)
この詩を見ている視点=阿頼耶識?

霧は自我という妄想、高原は現実世界。
現実世界が有るとか無いとか考えている妄想が落ちたときに初めて、もともと現実世界は在った、と気づく、衝撃の体験・・・かなあ?・・・と妄想していました。
でも、まだこの詩を認識している阿頼耶識が相対化されてないので、やはり山登りの途中の風景なんでしょうね。

この阿頼耶識をも厭離して相対化することができたら、そこがほんとうの涅槃なんでしょうか?
鬼和尚さまのブログでははっきりとこの2段階の経験が書かれていたと思いましたので、非常に衝撃をうけました。




792 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/07(日) 20:51:45 ID:MuwX1aws
 さて、キンキ鬼っズよ、スレを立てたのは成功だったのう。
 みんな興味しんしんじゃった。わっはっはっはっは。
 思いついた時から、すでに成功は約束されておったのじゃ。
 他人の評価を気にする必要はない。
 わしは完全な成功と観た。
 おぬしは間違っていない、良くやったのじゃ。
 次は少しテンプレも変えてみると良かろう。
 生活に役立つような工夫をしてのう。

 今は未だ規制中のようじゃが、取れたら次のスレも速やかに立てるが良かろう。
 
>>506 その理解で良い。
 現実は常に目の前にある、自我と言う霧によって見えなくなっている。
 更にそれを観るものによって、二重に眼が眩まされていると。
 そのように解釈すれば、真実の一端は垣間見たと言って良いじゃろう。

心と宗教板 2008/09/06(土)

358 :神も仏も名無しさん:2008/09/06(土) 00:21:38 ID:lySgNkrB
悟りを開いた方々にお聞きしたいです。
ある詩の一節です。


閉じこめた高原がどんな風景だったかを
思い出そうとして
霧は
ときどき自分自身を取りはらってみる


この詩を初めて読んだとき、何かハッとするものを感じたのですが、この詩は禅の悟りを表現しているのですか?


389 :トランクス:2008/09/06(土) 00:56:12 ID:9k+T5Aon
>>362
   >竹影掃階塵不動。 月輪穿沼水無痕。

漢詩はええべなぁ。

まんず、ただのおやじならなんて言うべかな。 
「そんな漢詩さももっちゃなんべ。ポイすべよ」だんべな。

鬼さならなんて言うべか。
「ついでにわしの庭も掃くのじゃ、わっはっはっ」だべか。


「竹影は掃かず 月は穿たず 秋の夕暮れ」 
                     byトランクス
 
 んだな。 オラも日本人だべなぁ…                   



397 :幻想してみた:2008/09/06(土) 02:01:44 ID:jZcTBFd+
なめなめおじさん 印!!!
彼はかつて僕の同僚だったような気がしてなりません
そしてそこから去った・・w

どうして去ったかと言うと もっと高いレベルを知っていたからです。
ここが低いレベルだとすると ここにとどまる理由はもはや無いw

あらゆる人は ここに来てそして去っていきます。
これは別に可笑しい事ではなくて 自然なことです。
悟りとは 気が付くことですが 
笑いを忘れているとするならば それはいかなる教えも不幸になってしまいます。
僕たちは常に 人に 笑いや喜びを与えられる存在であるべきです。w
笑いや喜びを与えられる「何か」

424 :神も仏も名無しさん:2008/09/06(土) 09:59:41 ID:pOOAJCne
>>313 鬼和尚さん
レスありがとう。
私が本当に混乱している時、必ずレスを返してくれるね。
そこが鬼和尚さんの真骨頂なんだろうと思いました。


>>421
オカルさん、忙しいのに返答してくれてありがとう。

>この創造空間は次元界で分かれているから構造に対しての理解からバルドの
>穴に堕ちる危険を回避することが出来ます。
>次元界の構造は「概念」ではありません。

バルド界の地図をあらかじめ理解すると回避が可能という事ですね。
なんか、山の高さに愕然としてきました。

442 :重です:2008/09/06(土) 13:11:12 ID:yIxXYsoO
鬼和尚質問です

あなたは、悟り、すべてを捨てて、仮の姿で、この世に帰ってきて、慈悲を施すために、ここにいることです。と言ってました。

鬼和尚には、欲があると感じます。

すごい欲!
全然、執着捨ててないじやあないですか?

何かを、わかってしまって、それを広めて、感謝されたい欲です。
生活番に行った事実が証明しました。

残念です。




501 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/06(土) 21:51:19 ID:t4fiBi3Q
>>358 なかなかいい詩じゃ。
 自分が取り払われれば、もとにあった風景が現れる。
 そのような意味じゃろう。
 禅とは関係ないが、そのように感じる心が良いのう。

>>389 そうかもしれん。わっはっはっは。

>>397 そうかもしれん、わっはっはっはっは。
 はが多いのう。

>>424 どういたしまして、又おいでなさい。

>>442 おぬしがそのように想定するなら、それがおぬしにとっての事実となる。
 ただ観察に勤めるなら、わしが本当に感謝されたいと思っているのか、理解できる筈じゃ。
 わしを信じる必要はない。
 常に観るが良いのじゃ。

  
 

心と宗教板 2008/09/06(土)

329 :幻想してみた:2008/09/05(金) 22:04:01 ID:b9xlcr4j
鬼和尚様 ありがとうございます。

>自分とは許し難いと言う感情を持っているものなのか。
>それともそれを観察しているものなのか。

自分とは 許しがたいと思っている何かではなく
何か別の 絶対的なものである そうおっしゃいたいのですね わかります。
残念ながら それは素面のぼくでは分かりようがありません・q・

>観察の対象と観察の主体はね果たして一体であるのか
これは そうではないんでしょうね。
物事は起こったにせよ それはすでに終焉を迎えています。
それゆえに ハエのなかではすでに終わったことです。
でも僕の中ではいまだにそのトラウマと言うべきものが 息付いて
まれに僕を悩ませるわけですw
これは ブロックですw
心を開くことを妨げる 一種の障害・・w

記憶に元ずくそれは幻想です 僕はそう観ますが・・w
しかしながら その影響は深く 容易に離れることは難しい


330 :神ON! ◆80NoNoNoCg :2008/09/05(金) 22:05:09 ID:Nu1yK20U
>>305 鬼 さん

> >>163 マハリシは悟りを得ておる。
>  お釈迦様も現代に生まれて、現代の言葉を喋っておれば、同じように言ったじゃろう。

ナンデヤネン!( −_−)ノ ビシ*)゜O゜) アゥ、鬼

外道よ、仏教を語れ!

339 :神も仏も名無しさん:2008/09/05(金) 22:34:06 ID:3+I3IIAF
仏教の話をしてほしい。110とか雑談だけでは。
仏教と悟り。。。

普段の行いにおかしなところの無いのが悟りなんじゃないかな。

344 :神も仏も名無しさん:2008/09/05(金) 22:43:46 ID:3+I3IIAF
何もかも忘れた瞬間が訪れるのが悟りなんっじゃないかなあ

497 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/06(土) 21:35:17 ID:t4fiBi3Q
>>329 頭では良く理解しているのう。
 しかし、未だ実践が追いついていないのじゃな。
 今はひたすら集中と観察を可能な限り、少しずつでも続けるのじゃ。
 トラウマになるような記憶は、無理に引き出そうとするものでもない。
 いずれ心の制御が容易になれば、驚くほど簡単に無害化の処理が出来るようになるじゃろう。

>>330 悟りと言うものが、仏教徒の幻想ではなく、人類に普遍の現象であると、理解するが良かろう。
 悟りを得る為の教えは、全て仏教じゃ。
 おぬしも心を開くが良かろう。

>>339 そうかもしれん。少し経の話もするかのう。
 苦を滅し、認識を転換したのが悟りと言えるじゃろう。

>>344 それは忘我じゃな。サマーディーの一種ともいえるが、悟りではないのう。



心と宗教板 2008/09/05(金)

264 :神も仏も名無しさん:2008/09/05(金) 14:41:14 ID:bPTC+/h2
今日は仕事にならんわ…

自我が作り出した妄想ってすごいな。
想念は消滅するは、肉体感覚は消滅するわ。
それすらも自我が作り出した状態なら、見極めるのは無理だ。
師は必要だ。

喩え正しい知識を学んでも、自我がその知識に沿った状態を
作り出す可能性高いんだろうな。もう、どうしようもならん。

幽体離脱も千里眼も幽霊もあれもこれも、全部妄想なんだろうな。
自我、恐ろしい子。

284 :神も仏も名無しさん:2008/09/05(金) 15:30:51 ID:NUpb1I14
知識は本で吸収できるとして、ここはある種の道場と考えたらいかがでしょうか。
私はそのように考えて利用しています。
もちろんひとそれぞれだと思いますが。

285 :神も仏も名無しさん:2008/09/05(金) 15:37:54 ID:fGAg/Wv6
前田慶次参上 我修羅に入る 仏に会えば仏を切る 鬼に会えば鬼を切る

295 :幻想してみた:2008/09/05(金) 20:22:49 ID:b9xlcr4j
私の教えは最初は甘い だが 最後には苦くなる・w・

299 :幻想してみた:2008/09/05(金) 20:38:56 ID:b9xlcr4j
妄想とは言え 精神的なことを学び始めて10年。
相手に憎しみを抱く愚かさはよく分かっているつもりです。
でも 過去を振り返ると けっこう自分に害(自分の思うところの)
をなした相手に対しては許しがたい という感情を持ってしまうことも事実

このへんを乗り越えるために なんか画期的なアイデアがあったら教えてくださいませ・w・

313 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/05(金) 21:24:01 ID:+dVnUDJn
>>264 山に登っている時には、深い谷で道がわからなくなったり、迷ったりして恐ろしいと感じるものじゃ。
 しかし、一度、山頂に立ってしまえば、深い他にも、迷った道も全て手の平をみるように、明らかになるものじゃ。
 そして、師など無く必要はなかったと、判るのじゃ。

>>284 そうじゃ、チャンスじゃよ。わしにいろいろ聞けるのじゃ。わっはっはっはっは。

>>285 自分に会って、自分が切れるかな?

>>295 少し上がっていたようじゃ。感覚的には似ているが、むしろ肉体との乖離とでもいうべきものじゃな。
 その場から逃避したいと言う感情が、意識と肉体との乖離を起こしたのじゃ。
 そのような現象は常にあるものじゃ。
 人は肉体に自分を投射しているが、実際には意識は肉体を包含するそれ以上のものだからじゃ。

>>299 観察する眼になりきるのなら、そのような感情も消えていくじゃろう。
 未だ自分がそのような感情をもっている存在と、思っているならば、いつまでもつきまとわれるじゃろう。
 しかし、一度、観察する眼になりきり、感情を持っている自分そのものが観れたなら、それが自分ではないと気づくじゃろう。

 そこからが本当の観察なのじゃ。
 自分とは許し難いと言う感情を持っているものなのか。
 それともそれを観察しているものなのか。
 観察の対象と観察の主体はね果たして一体であるのか、判るまで坐るのじゃ。