- 943 :武礼舞 ◆Brave/Oa5M :2008/09/17(水) 21:41:29 ID:ZuqaTtKA
- 鬼和尚もときになかなかろまんちっくな物言いをなさるw オショーっぽい
- 944 :神も仏も名無しさん:2008/09/17(水) 23:17:22 ID:N1PHKzws
- >>942
869です。
やはり愛を理解する事は悟る事同様に難しい事のように思えます。
ましてや「愛する」なんて…。
正直、鬼和尚さんの説明の中にすら、ひっかかるモノを感じてしまいます。
ただ、それは自分で克服しようと思います。
好きで葛藤してるだけですからね(失笑)
でも「ただ共に在る」という表現はさすがだと思いました。
「愛」とは存在であり、「愛する」とは共に存在する事…そう整理しました。
少し救われた思いです。
なんとなく以前テレビで見た真夜中の猫の集会を想起しました(笑)
ただお互いの存在を確かめ合っているだけの猫たちです…。
…とてつもなく簡単で、とてつもなく難しい事です。
私は「愛」と聞くと、すぐにダンテス・ダイジ氏を思い浮かべます。
>月並みな言葉だが、ねえ、あんた、愛は愛を愛している。
http://haitaka.blog19.fc2.com/blog-category-6.html
…私はダイジ氏の言葉が、彼が悟っていようがいまいが好きなのです。
暖かいからです。
鬼和尚さんの言葉にも常に暖かさを感じています。
ありがとうございました。
- 951 :神も仏も名無しさん:2008/09/18(木) 03:35:59 ID:xCZKPDL5
- >>676
562です。
不安なことの多い毎日です。
レスありがとうございました。<(__)>
- 956 :神も仏も名無しさん:2008/09/18(木) 10:19:04 ID:e3TtjFW/
- 鬼和尚はスマナサーラ氏・クリシュナムルティ氏をどう見るんだ?彼らは悟っているんだろうか?
スマ氏は悟ってないと言ったとか言わないとか。どちらも読んでなかったらすまん
- 975 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/18(木) 20:29:55 ID:ogt0lszY
- >>943 オショーもなかなかいい導師じゃった。
オショーの話は、いずれもっと広まるじゃろう。
>>944 どういたしまして、愛にひっかかりを感じるなら、それを観察するのが良いじゃろう。それが良い修行になるじゃろう。又おいでなさい。
>>951 どういたしまして、悟りを得て居らぬ者は、みんな不安なのじゃ。そのような者達の為に、このすれがある。又おいでなさい。
>>956 スマ長老は頭が良いが、それにひっかかって悟りを得ておらぬのう。
しかし、良く勉強しておる。
初心者が仏教を習うには良い導師と言えるじゃろう。
クリシュナムルティは悟りを得ておった。
伝統の言葉を使わず、今の言葉で悟りを説明しようとしておったのが、偉いのう。
記憶と悟りの関係に気付いておった。
ただそれを系統立てて説明する事は、出来なかった。
する必要もないと、思っていたのかもしれんが。
その先が我々の仕事になるじゃろう。
- 837 :神も仏も名無しさん:2008/09/16(火) 21:37:28 ID:mAG5Ohb8
- 唯と阿と、相去ること幾何(いくばく)ぞ。
善と惡と、相去ること何若(いかん)。
人の畏るる所、畏れざる可からずも、
荒として其れ未だ央(つ)きざるかな。
老子
- 869 :神も仏も名無しさん:2008/09/16(火) 23:47:53 ID:wnpyZXXO
- 鬼和尚さん、質問です。
鬼和尚さんにとって「愛」あるいは「愛する」とはなんでしょうか?
鬼和尚さんは、あまりそっち方面には言及しませんよね。
それは良い事のように思えます。
なぜなら私も現代社会において悟りを求めたり、あるいは単に心を静める為の瞑想をする時、「愛」とか「愛しなさい」という言葉は混乱をもたらすだけのような気がするからです。
…しかし、それでも古今東西の覚者は「愛」を語ります。
「愛が全てだ。愛だけが存在する」とか「理由など要らない。ただ愛しなさい」とか…。
そんな言葉を読むたびに私は混乱し、激しいジレンマを覚えます。
だからこそ、鬼和尚さんに「愛」とか「愛する」とはどういう事なのか…という事を聴いてみたいのです。
- 942 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/17(水) 21:03:33 ID:5AEBsqRg
- >>837 老子も又いいものじゃ。いなかったという説もあるがのう。
>>869 愛は良いものじゃった。
昔のまだ、国とか商売とか、余計なものが無い時には、愛は慈悲と同じく、人々を結びつけるものじゃったのう。
それが国やらお金やらのために、愛と言う言葉が使われ、政治や金儲けのための言葉になってしまった。
政治家は国を愛せよといい、コマーシャルは愛の○○が金で買えると宣伝しておる。
人々を酔わせる言葉である故に、政治や商売に使われるようになってしまったのじゃ。
そのような愛には、まだ主体と客体がある。
愛する主体と、愛される客体としての対象と言う概念から、逃れられない。
概念によってあるからこそ、宣伝に使われる事もある。
真の愛にはもはや対象も主体も無い。
自分と対象が一体となり、もはや他とは感じられないものじゃ。
全てを許し、全てを受け入れてこそ、そのような愛はある。
そこではもはや愛と言う言葉さえ、必要ではない。
ただ共に在るだけでいい。
愛する者と、愛される者との分別も無くなり、ただ共に在る。
時間の差も、空間の壁も無く、常に今、ここにおいて共に在る。
それこそが愛とすら、呼ばれる事の無い愛なのじゃ。
これは言葉だけのものでもない。
真に愛する者ならば、自分と他人という概念の区別も無くなり、常に共に在る事が出来、その存在を感じる事が出来るじゃろう。
心臓の鼓動を、息の一つ一つをさえ、感じる事が出来る筈じゃ。
真に愛する者は常に相手と共に在り、片時も離れる事は無い。
相手の全てを許し、全てを受け入れ、常に共に在るがいい。
愛が言葉とイメージを超え、究極に達した時、それは起こるじゃろう。
- 801 :神も仏も名無しさん:2008/09/15(月) 21:36:09 ID:PDbNhwwl
- 797のレスありがとうございました
この「本来の認識」の解説を期待してたのですが
やはり、言葉での解説は無理ですか。残念です
ありがとうございました
- 827 :神も仏も名無しさん:2008/09/16(火) 13:20:54 ID:U7HjewKD
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| 三| _ _ |三 !
| 三| 三シ ヾ三 |三 |
| 三′ .._ _,,.. i三 |
ト、ニ| <でiンヽ ;'i"ィでiン |三.|
', iヽ! 、 ‐' / !、 ーシ |シ,イ
i,ヽリ ,' : !. |f ノ
ヾ! i ,、 ,..、ヽ lノ
| _ _ イ l 生活全般次スレの筏とな?
l ,ィチ‐-‐ヽ i /、
゙i、 ゝ、二フ′ ノ/'”\
| \ ー一 / / _,ン'゙\
,ィ|、 \ /_,、-'” _,.-''´ `丶、__
_, イ | ヽ_ 二=''” _,. -''´ ”””””´´ ``ー
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{ } \ /
{ }〃肉`ヽ -∧_∧ (Д´)
‖ (゚Д゚,,) (・∀・ ) (V\|> みんな乗り換えるだぞ〜
__‖_(||y||_)_(||y//_)_/_〉\
\ミ三三三三/三三三三三三三彡/ \
~~~~~〜~~~〜~~〜〜~~~~〜~~~~〜〜~~~〜~〜~~〜~~~~
【仏教】悟りを開いた人のスレ【再挑戦】その2
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1221538104/
- 831 :ただのおやじ:2008/09/16(火) 19:56:50 ID:q4ou79Mr
- ごみーん、こっちにも貼っておく。
和尚答えてチョ。
「片方が残っていては完全に解体したとは言えない」
彼の御仁の説である。
これを悟りに置き換えると、悟り終わって悟りなし。
まことに昔から伝えられているとおりの優等生的言説である。
問題なのはこの説を唱える御仁自ら悟れるものとしてしまったこと。
冒頭の説に照らし合わせるとすると悟りあれば悟らぬあり、御仁は間違いなく迷悟中の人ということになるからである。
すなわちここにまことに大きな矛盾が生じてしまうのである。
御仁の冒頭の説が正しいと言うのであれば御仁は悟っていないということになってしまう。
逆にあくまでも悟ったと主張するのであれば冒頭の御仁の説はデタラメをのたもうたということになる。
これご本人の解説をまたなければ真意はあきらかにならないことなので、しばし待つこととしますが。
どのような答えが飛び出してくるのか、まことに興味深いものであると言える。
- 835 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/16(火) 21:20:29 ID:8VO7YOme
- >>801 どういたしまして、次に悟りを得て本来の意識を人に説くのは、おぬしかもしれん。又おいでなさい。
>>827 ごくろうさんじゃ。
>>831 やっとスレ違いに気付いたか。
しかし、まだ言葉にこだわり、言葉に囚われて、悟りがあるなしと、無意味な論じゃのう。
悟りと迷いと、いずれが言葉にされた真実か、何一つ判っておらん。
すでにわしのレスを読んでいる賢い者には、全て理解できておるのに、自ら無知を晒すとはご苦労な事じゃ。
その質問をするという時点で、まだ智識と分別にこだわり、そこから離れまいとしておるのじゃ。
分別と智識が大事であり、それがあくまでも自分であると信じておる。
その二つを離れた境地に対する恐怖が、この質問を作り出す。
矛盾の無い所に、必死に矛盾を作り出し、言葉をもって真実が表されると、未だ思っている。
矛盾はおぬしの脳内にある。
そこ以外に一切の矛盾は無い。
分別を離れよ、智識を捨てよと言うのさえ、方便に過ぎない。
その方便が使われるのは、まさにおぬしの為じゃ。
おぬしが智識と分別に、自我を投射しておる故に、それらを離れよと言うのじゃ。
それを知らずわめきたてるのは、病人が自らの病を指摘されて、却って医者に薬を飲めと言うようなものじゃ。
カルト寺のカルト思想は捨て、今まで積み重ねてきたゴミのような知識を、全部捨てるが良い。
それだけがおぬしが悟りを得られる唯一の道なのじゃ。
- 764 :神も仏も名無しさん:2008/09/15(月) 07:58:38 ID:s2vNWelY
- >>745
これ読んで気がついたけど、「思い込みプログラム」 みた
いなものが勝手に現状をパターン化して、それを過去の
記憶と照合しながら暴走しているのが、ふつーの人と
いうことでしょうね。
んでこのプログラムは故障しているわけではなくて、
もともとON/OFFのスイッチが付いてて、修行した
人はその切り替えができると、停止してメンテついで
にプログラムの修正もできそうだなw
そして知識も捨てろというのは、良い悪いを判定する
思い込みプログラムを停止したあと、さらに花は花、
空は空、と対象物に名前をつけるラベリングのシステム
も停止すれば良いと。。
まーここまでなら誰でもわかるけど、そっから先の
あの世に飛ぶシステムはどうなってんでしょうね? w
- 767 :神も仏も名無しさん:2008/09/15(月) 10:47:38 ID:HDJyLr04
- 2ちゃんねるを始めてからすぐに、私は見ず知らずの人たちから罵られ続けてきた。
しかし私は諦めなかった!(いつしか罵られることに快感が生じそうになっても!)
そして私はやっとこのスレにたどり着くことができた!もうこのスレには誰も私を罵る人はいないであろう!
みなさん!はじめまして!Mと申します!よろしくお願いします!o(^-^)o
- 774 :神も仏も名無しさん:2008/09/15(月) 13:30:28 ID:H/CoU1ia
- 最近思うんだけど
このスレっていわゆる
あの・・ええと・・・
ヤンキーがたむろって集会して夜な夜な女や車や悪自慢するやん?
あんな感じがした。
女や車や悪自慢の部分が仏や修行法や悟り自慢にかわってるだけで。
w
- 799 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/15(月) 20:43:02 ID:kAY3EAsu
- >>764 認識が正常に成れば、本来の能力が蘇るのじゃ。
機械の故障が直って、機能を取り戻すようなものじゃ。
人には本来、智慧と共感があるのじゃ。
目覚めた者が持っている大円鏡智、平等性智などの智慧は、もともと人の中にある。
それが故障によって、発揮出来なくなっているのじゃ。
人はもとから仏とはこのような意味なのじゃ。
それらが発揮されれば、真実が判り、全てが意識であり、一体であると言う共感も又蘇ってくるのじゃ。
>>767 どうぞよろしく。
>>774 そうかもしれんのう。わっはっはっは。
- 751 :神も仏も名無しさん:2008/09/14(日) 22:38:27 ID:LjbZBZzl
- まず、鬼和尚レスありがとうございます、695ですが。
さて、744のレスをみますとやはり新たな疑問がわいてきます。
知識と分別、これを共に捨てる、この状態は和尚の506の書き込みからも
明らかなように「外部情報が感覚器官を通して脳に到達しただけの状態。
すなわち、月を黄色であるとか、丸いとか、そのようなフィルターを通して
認識するのではなく、あくまでも一枚の画像としての認識にすぎない状態。」
(ちなみにハルカは以前のレスにおいて、これを『知覚』と表現していましたが。)
このような状態にいたることを意味します。
我々、一般人の通常感覚からすると、このような、価値判断はいうまでもなく
事実判断さえも停止した状態では、思考はもちろん生命維持活動も危険にさら
されます。 しかし、和尚は744で『本来の認識』というものを初めてもち
出されてきました。どうやら、これが全ての問題を解決する鍵であると思われ
るのですが、 >本来の認識は知識と分別を超えて働くものだからじゃ。
さすがに、この説明だけでは『本来の認識』がどのようなもので、そして知識
と分別ない状態においてどのように、それが作用し、働くのかがわかりません。
よろしく説明お願いします。
- 797 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/15(月) 20:34:03 ID:kAY3EAsu
- >>751 知識や分別が本来の認識のもとに、正しく使われているなら、それは智慧に成る。
真実を知る為の有力な道具であり、それ以上のものではない。
知識や分別が捨て去られても、肉体の活動には影響が無い。
なぜならそれは記憶によるものだからじゃ。
通常の人の認識は、いわば記憶の暴走状態に陥っていると言ってよい。
過剰な記憶能力への依存により、それが認識の過程にまで介入している状態と言えよう。
そこから正常な認識に至る過程で、分別と知識を捨てる必要がある。
そしてそれはただの道具として、使われるものと成るのじゃ。
知識や分別がある故に、心意識の対象への投射があり、そこに自我が生じ、自我によって知識の謬見があるのじゃ。
本来の認識においては、もはや分別も知識もなく、ただ意識だけが在るものとして、認識される。
それは分別と知識が無い故に、もはや言葉にも、イメージにも出来ないものじゃ。
そのような言葉も真実は伝えていない。
語れるのはやはり、こちら側の事までなのじゃ。
そこから先は自ら行って見るしかないものじゃ。
- 707 :神も仏も名無しさん:2008/09/14(日) 07:50:13 ID:THMiJ0di
- ↓分別ってのはたぶんこういうものでしょ。
目の前の状況をパターン化して、それと記憶領域の
データベースから、パターン + 良い悪いの結果判定
セットを呼び出して照合してるだけ。
ATMの指紋認証だとか、裁判官が過去の判例をもとに
判決を下すのとなんら変わらん。
だから分別を捨てろというのは、この結果判定セットの
データだけを破棄処分しろという意味じゃないかな?
通常の知識は脳の構造から言って破棄できないと
思うし。
たとえば指紋照合のデータを失って本人確認ができ
ないATM、判例集を使わずに犯罪をさばく大岡越前
みたいな裁判官? そんなような感じだと思うなww
- 745 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/14(日) 21:30:31 ID:txp2vChh
- >>707 そのモデルで言えば、記憶システムが暴走し、勝手にデータの照合、判定を繰り返しているようなものじゃ。
この故障を直すには、一度、全てのシステムとデータのやりとりを停止し、故障個所を見極めてから直さねば成らん。
その為に、一度はデータも分別するシステムも、捨てなければならんのじゃ。
そして故障が直れば、又データ、知識を拾って智慧として役立てる事も出来るのじゃ。
- 690 :神も仏も名無しさん:2008/09/14(日) 00:16:14 ID:/0qxPlqp
- >>679
>2ちゃんねるは真実が明らかになる所と、ひろゆきもいっておる。
wwwwwwwwwwwwww
いいなあ和尚w
- 691 :神も仏も名無しさん:2008/09/14(日) 00:52:47 ID:f2HEWZap
- >>2から読んで修行じゃ
というのは
2ちゃんねるを読んで修行じゃの意味だったのかw
感動したw
- 695 :神も仏も名無しさん:2008/09/14(日) 01:13:51 ID:LjbZBZzl
- さてと、みなさまこんばんわっと。少し自粛しておりましたが、和尚からの
レスもありましたので書き込みさせていただきます。
675の和尚のレス内容をまとめると
1.認識作用は、自己から切り離さなければならない
2.そのためには、それを観察しなければならない
3。しかし、認識作用は非常に速いものなのでそれを緩和する必要がある
4.そのために知識と分別をすてることが必要である
とまあ、こういうことなわけだが、いくつか疑問点がある
1.「知識と分別をすてる」ことは、認識作用のスピードの緩和を意味するの
ではなく、「認知作用の停止」すなわち「思考停止」なのでは?
2.また、この「認知作用の停止状態」、和尚の言葉でいうと、「認識作用を
自己から切り離した状態」というのは、瞑想などの特殊状況下以外においても
持続可能なものなのか?
とりあえず、以上2点についてお尋ねします
- 744 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/14(日) 21:23:56 ID:txp2vChh
- >>690 そうじゃ、今日も真実を明らかにするのじゃ。
>>691 そうかもしれん。2チャンネルで修行じゃ。
>>695 1 からじゃな。
思考と認識作用は違うものなのじゃ。
思考は意識の表面にあり、見やすく、少し修行すれば止める事も簡単なものじゃ。
認識は心の奥深くにあり、感知する事も難しい。
知識と分別を捨てる事によって、認識が緩和されても認知そのものは止まらない。
なぜなら、本来の認識は知識と分別を超えて働くものだからじゃ。
その本来の認識が、知識や分別、自我などにより歪んだ形が阿頼耶識と呼ばれる、認識作用なのじゃ。
2 は阿頼耶識が完全に消滅し、その状態が続く事こそ悟りを得たという状態なのじゃ。
そこでは本来の認識作用が取り戻され、本来の智慧が生じるものじゃ。
- 677 :神も仏も名無しさん:2008/09/13(土) 20:45:52 ID:ugU/1yMY
- 例えば客体化、対象化する…という目的で観察を行った場合、その観察は既に「手段」と化し、結果として対象に取り込まれている事になりはしないでしょうか?
「ただ観る」というのは、どういう事なんですかねえ?
- 681 :神も仏も名無しさん:2008/09/13(土) 21:00:50 ID:ugU/1yMY
- 私は鬼和尚さまを本物だと思っております。
ただ悟っているだけではなく、悟りに導く師としても本物だと思っております。
話す事がシンプルで、虚飾が無いからです。
しかし時折、1度も聞いた事がないような事を言います。
そして、その言葉もまたシンプルなのです。
実践できるかはともかく、理解できないという事は殆どありません。
- 742 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/14(日) 21:12:58 ID:txp2vChh
- >>677 その為に、毎日の修行がある。
通常の観察はまだ、対象への投射が含まれておる。
しかし、毎日行い、観察が完全に習慣化されると、無意識の観察が可能になる。
体が観察を覚えた、とでも言うようなものじゃ。
それこそが観察する眼に成りきることでもある。
その時には観察が自動的に行われ、自我も介入出来なくなる。
そのような観察でこそ、素早い認識の過程を観られ、自我の生成するさまをも観られるのじゃ。
その時まで精進じゃ。
>>681 さすがじゃ。
>>6685 おぬしのとんちもなかなかのものじゃ。