「【仏教】悟りを開いた人のスレ70【天空寺】-心と」カテゴリーアーカイブ

心と宗教板 2010/01/27(水)

931 : 837[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 19:54:07 ID:QZ382L4Z [3/16回]
EO(このスレでは悟っていない判定でしょうか)が
発狂せずに『体験』に耐えるには、それに耐えうる強靭な脳を必要としている
と指摘している。

強い自我=強靭な論理的な思考能力を持つ脳
と定義付けも可能かと思います。

クリシュナムルティなども、徹頭徹尾、理詰めの思考力を保持し続けたようです。

鬼和尚さんのバーナデット・ロバーツについての見解を聞きたくもあります。
938 : 鬼和尚 [sage] 投稿日:2010/01/27(水) 20:35:26 ID:iD5bk7TJ [3/3回]
>>931 バーナデット・ロバーツは自我のイメージが無くなった故に投射できなくなったものじゃのう。
 それで強い集中状態であるサマーディによって一時的に自我を離れた者と同じような境地に偶然なったのじゃ。
 そこで感じ、見られる世界はまだ認識を離れていないものじゃ。
 それでは語ることが出来る世界まで見たが、語る事の出来ない世界は見られないのじゃ。

心と宗教板 2010/01/27(水)

868 : 神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 02:38:00 ID:C8xF2RZH [1/1回]
悟りは危険という意見に賛成です。
おれも一ヶ月ほど前、悟りました。(おれはクリシュナムルティ派なので仏教ではないんですけど)
それからずっとショック状態、茫然自失状態がゆるーく続いています。
今無職なんですがwていうか勤めてた会社辞めた直後に悟ったんですが、
「あれ」を見てしまった後では、もう次の仕事探す気が全然しなくてww

鬼和尚さん、先日他スレで相談に乗ってもらった者です。その節はありがとうございました。
乞食修行の全国行脚に出よとのことでしたけどwwお尋ねしたい。
悟って、おれみたいに廃人になってしまう奴とか狂ってしまう奴って
やっぱりたまにいるんでしょう?
「あれ」を見てからも全員が普通に社会生活を送れるとは思えません。
最初に危険性もちゃんと言っといた方が良いと思うのですが、いかがでしょうか。
876 : 神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 08:36:08 ID:wXNmL8HC [1/4回]
鬼和尚さんに質問です
鬼和尚やほんの僅かな人のように大悟されたものはいいですが
この地上に生まれた者のそのほとんどの人は無明の中でもがき苦しみ死んでいきます
そもそもこの宇宙の創造主はなにゆえこのような過酷な三次元世界をつくったのですか?
たとえこの世界が幻だとしてもなにゆえそのような妄想を抱かせるようにつくられたのですか?
自我を知らない神は人も宇宙も知らないことまではわかったのですが・・・
903 : 神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 16:16:31 ID:BMVQlfD8 [3/4回]
言葉でわかったつもりになっても、町でヤクザに脅されたら心が乱れる。
仏陀ならどうするのだろう?
923 : 神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 19:09:43 ID:wjOS4B2o [1/1回]
悟ると煩いから静かになるのかね。無我の静けさ・・ですかね。(空想)
937 : 鬼和尚 [sage] 投稿日:2010/01/27(水) 20:28:56 ID:iD5bk7TJ [2/3回]
>>868 自我を己と思い、己が無くなるという恐れがあるから危険なものと思うのじゃ。
 始めから己を捨て切っているなら何も恐れる事は無い。
 むしろ最高じゃ。
 
>>876 おぬしの世界を作り出したのはおぬし自身なのじゃ。
 そのような状況に己を押し込め、それを何故かと考える自我を今も作り為しているのじゃ。
 ほんの少し囚われを離れ、思考を止めて観察しただけでも世界が変化していくのを感じるじゃろう。
 それが今、ここにいる意味なのじゃ。

>>903 何もしないじゃろう。ただ歩いていくだけじゃ。

>>923 そうじゃ、それが真の寂静じゃ。死ぬことではないのじゃ。



 

心と宗教板 2010/01/27(水)

827 : 神も仏も名無しさん[] 投稿日:2010/01/26(火) 20:54:16 ID:4wZSHYIx [2/2回]
>>825
>孔子と間違えているようじゃのう。


ブッダは見てきたようなウソは決してつかなかった。
弟子などの形而上学的質問に対しては沈黙したと。
無記または無捨置

死後について語ることこそ苦をつくる元ではないか。
831 : 神も仏も名無しさん[] 投稿日:2010/01/26(火) 21:26:13 ID:qglCMlRk [1/10回]
「悟り」の境地は、非常に危険な思想だと思うのですが。

自我の消失=「死」の境地ですよ。
「発狂」とは我を忘れることです。
常人はそこで自分(我)を見失い「狂人」になります。

運よく我を再発見して「死」の境地から帰還しても、この世に「我」しか存在しない感覚に襲われます。
つまり「睡眠」ができないのです。
なぜなら「睡眠」は我の力ではコントロールできない「自然」の「本能」の力です。

我しか存在しない自分は肉体の疲労で睡魔に襲われても、我はそれを許さない。
眠りの落ちた時点で意識のない状態=「死」と我は認識してしまうのです。
眠ろうとすれば呼吸が止まり、眠りを我慢すれば肉体の睡魔が襲う。
凄まじい「矛盾」に発狂します。

私は幸い「死」の境地の「意味」を自覚して脱出して
なんとか正常?に、ここに書き込みしています。

この境地は「悟り」なのでしょうか?みなさんお答えお願いします。



847 : 神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 22:30:34 ID:ElUAG+8v [2/2回]
>>792-826
鬼和尚さん、皆さん、ありがとう。
そこからはもう人間の知識では理解できず、修行して体験するしかない。
数息観と瞑想に励もう、皆の衆。
934 : 鬼和尚 [sage] 投稿日:2010/01/27(水) 20:15:55 ID:iD5bk7TJ [1/3回]
>>827 ダンマパダにはこのように記されておる。
126 或る人々は[人の]胎に宿り、悪をなした者どもは地獄に墜ち、行ないの良い人々は天におもむき、汚れの無い人々は全き安らぎに入る。
教えは人を導くために説かれるものじゃ。
言わなければ修行する者には言わない。
言った方が良い者には言う。
ただそれだけのことじゃ。
目覚めた者はこのようである、こうでなければならないと考える事が囚われなのじゃ。

>>831 妄想じゃ。睡眠を恐れているようじゃのう。
 睡眠恐怖症.という名前の病気があったのう。
 眠れないと疲れて考えもおかしくなるものじゃ。
 悟りとかは忘れて恐怖の原因が何か観るが良い。
 ゆっくり眠れるようになるじゃろう。

>>847 どういたしまして、またおいでなさい。
 

心と宗教板 2010/01/26(火)

810 : 神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 14:19:00 ID:rl2FyrRr [2/11回]
コギト・エルゴ・スム(我思う故に我あり)
有名なデカルトの言葉。
私が思うことができる、ということは即ち、私(自我)が確かに存在するからだ。


そうではなく、存在するのは、感覚と認識と思考だけであり
その精神作用が自我という幻を生み、自我という幻が存在すると錯覚させる。
814 : 神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 14:39:02 ID:rl2FyrRr [4/11回]
人は生きているうちに傷付くでしょ?
他人から自分のことを悪口を言われたり、非難されたり、
バカにされたり、蔑まれたりして。

じゃあ、この傷付いてる存在は何だろうか?
自分に決まっているだろう。

というのは、少し待って欲しい。
その自分(自我)というのは、本当に存在するのだろうか?

もし、自分(自我)というのが錯覚であり、幻であり
存在しないならば、傷付く主体そのものがないのだから
傷付くことなどあり得ない、となる。

それが精神的な苦痛(苦悩)からの解放(解脱)となるのでは
ないでしょうか?
820 : 神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 15:11:32 ID:rl2FyrRr [6/11回]
では
『自分の考えと自分本体は違う。』
と考えている自分本体(主体)とは、何なのだろうか?

その主体が、果たして本当に存在するのだろうか?

目を閉じて、内面を見てみる。
さまざまな思考がプカプカと浮かんでは消えていく。

その中に、自分本体と呼べるものなど見い出せるだろうか?
826 : 鬼和尚 [sage] 投稿日:2010/01/26(火) 20:44:59 ID:sA81HR4V [3/3回]
>>810 そうじゃ、そこで思考は止めて置くがいいのじゃ。

>>814 そうじゃ、もはや言葉はいらんのじゃ。

>>820 そのように観るのじゃ。

心と宗教板 2010/01/26(火)

799 : マナカ[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 08:52:13 ID:hxv/hplF [1/4回]
見てる私を見るって、自我が自我を見るってことかしら……難しいわ。
801 : 神も仏も名無しさん[] 投稿日:2010/01/26(火) 09:52:47 ID:4wZSHYIx [1/2回]
>>775
>>790


智恵あるもの(覚者)は形而上学的問題については言及しないものです。
805 : 神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 11:55:56 ID:ElUAG+8v [1/2回]
>>790
鬼和尚さん、ありがと。

>>775で「生まれる」とありますが、人間に生まれるとは限らないのでしょうか?
807 : 素人A[] 投稿日:2010/01/26(火) 13:01:27 ID:Q0So3PZE [1/1回]
観察するとう言葉なんか感じが出て無い。眼から光がでるわけでも無いのに観察するとは、
星を見るときは星が私を観ている。同考えても見られているのだ。
花を見る時花がわたしを観ているし話しかけられるし、観察とは観察されるのか?
808 : 神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 14:02:16 ID:X5vXolJP [3/6回]
観察した結果、思考は自分ではないことは分かったけれど。
それを認識している者は誰?ということになる。
それを認識している誰かは、自分ではないのか。

悟りはその誰かを知ることなのか?
しかしそこに行くには、思考の網を潜り抜けるしかない。
809 : 神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 14:05:15 ID:rl2FyrRr [1/11回]
.>>799
自我が自我を見ているのではないんじゃないかな。

自分が自分の思考を観察するってことは

自分=観察者(自我)
自分の思考=自我

と思っていると、自我が自我を見る、ということになるけど

自分の思考があり
それを観察している認識がある。

では、この観察をしている存在は何だろう?

ここで、観察をしているのは自分(自我)に決まっているだろう。
当然じゃないか。

これが実は錯覚と言っている。

鬼和尚さん、合ってますか?
825 : 鬼和尚 [sage] 投稿日:2010/01/26(火) 20:39:37 ID:sA81HR4V [2/3回]
>>799 考えなければ簡単じゃ。
 そこにあるではないか。
 生まれてから一度もそれから離れた事は無い。
 ただ観ないようにしてきただけなのじゃ。

>>801 孔子と間違えているようじゃのう。

>>805 どういたしまして、人とは限らんのじゃ、またおいでなさい。

>>807 それを観ているのは何じゃ?

>>808 それに自分と言う名をつけてはいかんのじゃ。名も無いものを観るのじゃ。

>>809 それを考察するのではない。考えず、名づけず、識別せず、ただその作用を観るのじゃ。
 観る事そのものがもたらす変化こそ重要なのじゃ。

心と宗教板 2010/01/26(火)

792 : 神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/25(月) 22:26:19 ID:rhrSuBlf [1/2回]
鬼和尚さん、じゃあ、平等性智は何が基準になっているのですか?
修行の上達具合?十善戒?本人の罪の自覚?本人の善の自覚?閻魔大王の匙加減?
793 : 761[sage] 投稿日:2010/01/25(月) 22:34:18 ID:mS4RQG4N [1/1回]
>>775
もう少し時間間隔を狭めて質問します。
意識がある時点Aから意識が薄れ、意識がなくなる時点Bを経て心臓が止まって死に至る。
時点Aから時点Bの間であって、時点B前30秒間に、どういうことが起きるのか、言ってください。
824 : 鬼和尚 [sage] 投稿日:2010/01/26(火) 20:31:56 ID:sA81HR4V [1/3回]
>>792 他人にしてきた事と自分にしてきた事が平等であるかが基準じゃ。
 他人に不利益なことをして、自分に利益ばかり図ったなら、その分不利益を蒙る境地に行く。
 それらを平等に観るから平等性智と呼ばれるのじゃ。

>>793 眠りにつくのと変わりは無い。
 だんだんと意識が薄れ、自我の想起がなくなる。
 体が己と言う思いが強ければ、体の感覚が無くなった時に意識が無くなる。
 感情がそれなら感情がなくなった時にと、人によって違うがのう。
 体が死に行くに連れていろいろと観るじゃろうが、それらは幻想に過ぎないものじゃ。
 川が見えるとか、花畑とか、死と生の狭間を思う故に想起されるものじゃ。

心と宗教板 2010/01/25(月)

776 : マナカ[sage] 投稿日:2010/01/24(日) 20:44:41 ID:ADDrN2b8 [3/3回]
観察では見ている私が残るわ、「私」は見ているってなる。
あなたそのものになりたい……なんて。

779 : 神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/24(日) 22:40:28 ID:CeVjIBJN [1/1回]
>>775
761さんではないですが、大変興味深いお話でした。質問させてください。
老若男女問わず自殺者が増えてきています。
彼らの死の場合でもそのプロセスは同じなのでしょうか。
自殺、事故、犯罪などで突然命を失う人と、老衰や病気で亡くなる人、
それぞれの亡くなり方は潜在印象に影響を及ぼしますか?
生きているうちに悟りに至るか至らないかの違いの前では些細なことでしょうか。
780 : 神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/24(日) 23:08:02 ID:VHpa7i+k [1/1回]
鬼和尚さんに質問です。

平等性智は、認知症・精神病患者・原爆で一瞬にして吹き飛ばされた人にも、
平等公平に働くのでしょうか?
782 : 素人A[] 投稿日:2010/01/25(月) 10:12:02 ID:8K6DYXHj [1/1回]
鬼和尚さんそんな事でいいんかなあ。そんなら毎夜死んで朝生まれかわつている野鴨。
私は何時も解からんで私は飛べない鴨だ。まなんでもいいか心が少しずつ安心すればいいの鴨。
786 : 神も仏も名無しさん[] 投稿日:2010/01/25(月) 16:03:35 ID:2RdHoPsj [1/2回]
>>760 鬼和尚様そして>>749様

>>744です。
ありがとうございました。有名な戦国武将にも毎朝、自分は今日死ぬんだ
と思って覚悟して床を出るべし、と書き残した人物いましたね。

 徳川家康が駆け出しの武将の頃、戦で大負けして敵勢に殺されかかり
命からがら逃げ帰った日、すぐさま絵師に恐怖した自分の顔を描かせたのも
似たような目的からなんでしょうね。

 家康はその後も戦陣で戦の合間、暇さえあれば「南無阿弥陀仏」の六文字を
半紙に書き付け、その現物が何百枚もあちこちの寺に残っているそうですが、
死だけでなく死後も見つめ続けていたんでしょうか。

  人身受けがたく、仏法聞きがたいのに、こうして人は死んだらどうなるか
親切に教えてもらっていながら正しい生き方を実践しないのはアホですね。
精進します。 ではまた
790 : 鬼和尚 [sage] 投稿日:2010/01/25(月) 20:24:00 ID:kxaNKvaP [1/1回]
>>776 言葉だけでなく本当に見ている私が見えたなら、それを観察するのじゃ。

>>779 自殺者も同じじゃ。
 死に方で影響は無い。
 なにをしたかが重要じゃ。

>>780 働くのじゃ。
 ただ自分が死んだと言う自覚が無い時は暫く時間がかかる。
 眠りの意識のまま時々覚めて世を彷徨う。
 自分は死んでいたと知ると働き出すのじゃ。

>>782 そうじゃ、修行あるのみじゃ。

>>786 どういたしまして、またおいでなさい。   

心と宗教板 2010/01/24(日)

761 : 神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/24(日) 01:07:06 ID:Q5IvG4N3 [1/1回]
>>760
死ぬときに、どういうことが起こるのか、言って下さい。
768 : マナカ[sage] 投稿日:2010/01/24(日) 11:38:07 ID:ADDrN2b8 [1/3回]
鬼和尚さまは男であり結婚してないから、
女の子の気持ち、子供を持つ経験はないですよね。
これらを語るときは観念で語ってる事になるのかな……なんて。
775 : 鬼和尚 [sage] 投稿日:2010/01/24(日) 20:30:32 ID:D97kRDwH [1/1回]
>>761 体が動かなくなる。
 思考も働かなくなる。
 自我の生起が無くなると平等性智が起こり、生まれてからの行いを公平に判断し、潜在印象とする。
 意識が睡眠状態になる。自由が利かなくなる。 
 体は腐ったり焼かれたりして無くなる。
 意識は暫く睡眠の意識と同じ状態に留まる。
 潜在印象に従って、それにふさわしい境遇の状態に引き寄せられる。
 生まれる。

>>768 観察じゃ。